EZUKO THEATER



「毎日、フツウ。」


えずこシアター
メール交換の記録 より
〜その2〜


えずこホールでの公演直前、何の変哲もない「フツウ」という言葉にそれぞれが大きな意味を感じていました。住民だからこそ表現できるものは何なのか。みんなが考えていったのです。

on 01.9.3 0:46 AM, yuuki haseno wrote:
それはやっぱみんな自分の人生というドラマのそれぞれ代役の利かない世界でたった一人の主役だからだと思います。でも、自分の人生というドラマを面白くするのもつまらなくするのも自分次第ですけどね。視聴率はないけど、あとで自分で見たときに面白い作品にしたいものですね。よく歴史上の誰かの人生をテレビでやってたりするけど、その人の人生について良かったとか悪かったとかコメントしてるけど、勝手にコメントしないでくれって本人は絶対思ってると思います。自分の人生良かったか悪かったか判断できるのは自分しかいないと思うし、でもきっとほぼ全員がもっと色々やりたかったと思ってると思います。満足だということはありえないんじゃないかなー。だって人間欲が消えたら、それ以上前に進めないと思うなー。他人に迷惑かける欲はだめだと思うけど・・・・。「フツウ」って悪い言葉じゃないなーと今回のこの作品を通して思いました、「フツウ」いい響きです。やっぱこの作品は「フツウ」に毎日をがんばって生きているシアターの人にしかできないお芝居だと思います。

えずこホールでの本公演初日の深夜。一通のメールが届きました。以前シアターで活動をともにした朋果さん(現在、育児休団中)からのメールでした。
on 01.9.9 1:08 AM, tomomi wrote:
フツウの毎日が全然かっこわるくなんかないこと。フツウの毎日がしあわせってことに気付かされました。主婦って毎日同じ家事のくり返し、まして子育て中だからそううまく器用にこなせない。育児だってそう。そんな日々をすごしてるといろいろとつまづいて、イライラしたり泣くこともしばしば・・・。でもなにげないところに幸せってあるんだな、自分にだってあったんだなって思ったら感動して涙が止まらなかった。くよくよしたってなんの得にもならなくて・・・。うまく言えないけど、そこにいる人の笑顔とか温もりとかを感じていたいなって思いました。

役作りをどう捉えこなしていけばいいか・・・。11月のステージへのバージョンアップを目指して、メンバーたちの奮闘は続きました。
on 01.9.11 11:14 AM, komuro wrote:
私という人間は自分で理解している性格と他人から理解されている性格に多分大きなギャップがあって、台本はその人に当てて書いたと一番最初に聞いた時、台本の自分の台詞「やっぱり?最初はいつもいいんだよね。」を見て、他人が思うあたしはこのように映っているのかもしれないなぁと感じました。そうしたら、ますます小室真由実で出る事に抵抗を感じました。それは観客からあの人ふだんもああいう人なんだぁと思われるのが嫌だったのもありますし、芝居をする醍醐味は別人になれるからという理由からです。

舞台に立つのは多面性と不完全な存在である“人”。吉川先生のシェイクスピアの引用した返信メールです。
on 01.09.16.4:46PM yumi yosikawa wrote:
Fair is Faul
Faul is Fair って。
きれいはきたない。
きたないはきれい。
それが人間です。
今度の舞台はそんな人間がそれぞれに、それぞれの人格にリアリティーをいかに持たせるかということが重要なのであって、それぞれが自分の中のきれいできたない、弱くて強いところを併せ持つ人間としてそこに存在していることがもっとも大切なことなのだと思います。だから、ひとりひとりのキャラが見えることは、この作品の命だと言えます。キャラには一貫性が求められますけど、ほんとの人間の考えることなんて全然一貫性ないでしょ。そういうところを落っことしたら、人間っぽくないよね。だからあんまり、かちかちに考える必要はないと思います。おおらかにやった方がきっといい感じに見えると思うけどな。

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