えずこシアター
メール交換の記録 より 〜その3〜
7カ月に渡った芝居作りは、ゆっくりとその幕を閉じました。それぞれの心の中で何かが変ったと語リ始める団員たち。その中に役者としても成長著しい長谷野君が書いた一通のメールを見つけました。

on 01.11.27. 2:03 AM,
haseno at wrote:
同じ住民がお芝居という文化・芸術を行っていることがもっと大きな意味があるんじゃないかなって思えました。プロやプロを目指している人には出来ないことじゃないかなって思うんです。そういう方達のお芝居はとてもすばらしくていいものです。しかし、見てる人との間には明らかに大きな越えられない壁があると思います。それは見ている人は自分がやってみたいというか、憧れや尊敬の気持ちは起こっても、自分が出来るとは思えないはずです。でも、私達住民劇団とお客さんとの間には壁はないと思います。だって、普通の人なのだもの。お客さんと何にも変わらないからです。極端な話、みんな昨日まではお客さんだった人達が舞台に上がってお芝居をしているからだと思います。
シアターの方達は自分の周りの人達に自分が感じたことや自分の学んだことを少しずつ分けてあげることが大切だと思います。幸せって小さいけど少しずつ拡がります。幸せな人は周りも幸せにすることが出来る。きっと周りの人にも優しくできるからです。心にゆとりがあるからです。不幸なことってたくさんあったりすると思います。でも、それは大きな幸せを探すあまりに幸せを見つけられなくて不幸になってしまっているのです。ほんとは小さな幸せはたくさんあるんです。でも、それを幸せだと
思っていないのです。みんな、道ばたに落ちてる100万円を 探しているから1円が落ちていても目もくれないんです。そんな小さな幸せを見つけていられる人が一人でも多くなればきっと世の中上手くいきます。
結論・・・文化芸術は一部の人にしか行えないことじゃない。
それを伝えることができる活動を行っているのがえずこシアターのやっていること。
文化芸術は心にゆとりを与える。そして、心のゆとりは小さな幸せを見つける。
小さな幸せが集まれば世の中は良くなる。
ちょっと強引でしょうか?
人が育つことは、とても素晴らしいこと。演出家吉川先生のやさしく、そして力強さを感じさせてくれるメールです。
芸術とか文化とか・・・、音楽でも演劇でも踊りでもそうですが、それぞれの表現を通して、人間は自分という人間に向かい合います。自分の人間性や、人生観、さまざまな考えや胸の中に渦巻くさまざまな感情に。時々、それは思いも寄らなかった視点を与えてくれることがあります。そんなとき、突然視界が開けたような思いに忘れ得ない感動をするのです。そういう感動を経験した人は、きっと戦争かなんかになって食べ物もなくなっちゃっていよいよ命が危ないってときになっても、死ぬまで歌なんか歌ってる人になるんじゃないかと思います。そして、そういう人は、けっこう生き延びるんだな、これが。おなかが減ってるのに歌なんか歌ってられっかってな人は、あっさり死んじゃったりして。そういう感動は人間の生きる力だよね。
最後にまほろばホールでの公演でいただいたアンケートの中からお客さまの声を一部ご紹介します。
現実と違う芝居の世界というよりもこの公演そのものが見ている人も含めたワークショップのように感じました。とても広いテーマで、各々の心の中で同じような心の動きがあったと思います。出ていらした方々の現実のドラマも重なって本当にこのような地域に根ざした劇団だからこそ取り組める、まさに地に足のついたパフォーマンスだと感じました。こういう表現の仕方ってあるんですね。ステージの上に立っているお一人お一人がすべてよく開放がされていて、観ていて本当に気持ちよかったです。テーマソングも素敵で、たくさんの元気がステージから観客にふりそそがれました。たくさんの方がこの劇団で変わり、巣立っていかれるといいですね。
(仙台市:女性)

久しぶりに今回のような公演を鑑賞させていただき、心に感じるものがありました。学生のころは、学校行事の一環として芸術鑑賞の時間などもありましたが、社会人となった今、自ら機会を作らないとそうした機会はえられませんし、なかなか自分の中に眠っているものが引き出せないように感じます。今回は友人に誘っていただいたのですが、フツウという平凡な生活のありがたさ、そしてこのような舞台を作り上げている団員の方々との出会いに心から感謝しています。
(仙台市:女性)
編集後記:本作品上演にあたりご協力いただきましたすべての皆さまに厚く御礼申し上げます。2002年9月には、斬新なチャレンジで新作を上演します。また、えずこホールでお会いできることを楽しみにしております。
(えずこシアター編集部)