ゴドーを待ちながら 世紀を超え今なお語り継がれる名作、 ゴドー。
|
串田 和美 (くしだかずよし) (2001.6.30 インタビュー) |
Q:「上海バンスキング」は94年まで9回再演。第14回紀伊国屋演劇賞、第24回岸田戯曲賞(斎藤隣)を受賞。81年には自由劇場オリジナルバンドがオールドボーイズオールスターズと共演したり、吉田日出子さんが、ホテル・ニューオータニでショーを行なったり、演劇が大きな広がりをもって一つの現象のようになったのかなと思うのですが、串田さんはそういった広がりについてはどのように考えられていましたか。
一方では、なんとなくまともな新劇を学んできたけど、もう一方では俳優学校のころから佐藤信とミュージックホールへ行ったり、日劇のストリップ劇場へ行ったり、もうちょっと猥雑なところにいろんなものがあるんじゃないかなと思ってましたね。ベルリンのキャバレーとか、ブレヒトは最初はこうだとか、ベテキントだってキャバレーの中から育ったとかっていうのを聞くと、「へーやっぱりそうだよな」とかだんだん興味をもつようになって、結局大元はいろんなものが混ざってるんじゃないかなって思いますね。パーティがお芝居になっていたり、演劇的な演奏会があったり。そういうことがたくさんあっていいんじゃないかなと思います。
Q:演出についてですが、安部公房の作品。それから、勘九郎さんの中村座やコクーン歌舞伎と。古典から前衛まで、演出される分野も幅広く、評価も高いのですが、「劇場は熱くなくてはいけない」という言葉のとおり、舞台の空気感、新鮮な息づかいなどをとても大切にされているように思えるのですが、どんなところに気を使い、何にこだわって演出されてますか。
古典から前衛まで、言われてみるとそうなんですけど(笑)、意識したたことはなくて、目の前にあるやりたいことをやってるだけなんですが、ただどんな場所でやるかということにはこだわりますね。どんな風に人と空間を共有して、どんな風に時間を過ごすか。ということには、気が付いたらずっとこだわってきたんだなあと思いますね。
お芝居ってのは二通り考えられて、作品というものがきっちり出来上がっていて、どこに掛けようが、どんな額縁に入れようが変わらないという考え方と、みんなでその絵を取り囲んでどんな風に過ごすかという二通りだと思うんですね。それで僕は作品というのは作った側とお客さんとでどういう風に共有するかということが大切だと思うんです。そうすると額縁の向こう側がどうでもいいとは思えない。それで場所にはこだわるということですね。
Q:第1回目のコクーン歌舞伎(四谷怪談)で、舞台上で水を使ったり、千秋楽でグリーンの燕尾服を着た楽団がジャズを演奏して終わるというような演出があったと聞きました。歌舞伎の演出としては、とても斬新だと思うんですが、それは自然に出てくるものなのか、それともかなり意図的に考えたものなのなのでしょうか。
そんなにすっと出てくるわけではないんですが…、ジャズについては、勘九郎と千秋楽で最後に何しようかと話してて、彼も歌舞伎はもっと違うんじゃないかってずっと思い続けてきた人で、最後はもう一度立ち回りを繰り返すことをやりたいんだけどどうしよう、という話をしてたんですね。それで、ふと討ち入りの太鼓とジャズの「スィング・スィング・スィング」のジーン・クルーパのドラムが似てるんじゃないかという話が出て、それでちょっとやってみて、こりゃいけるぞということになって、雪を降らせて、手作りの裃だけつけてジャズの格好をした楽団が入ってきて、くるっとこちらを向いて演奏を始める。それに合わせて立ち回りをやって水の中に飛び込む…。ということをやったんです。
演出は考えてはいるんだけど、考えたことじゃないことのほうがよかったりするね。考えるのは、そのぽっと発想が出てくるためのただの準備っていう気がするなあ。
Q:ゴドーの空間は、どこにもないような不思議な空間で、白い光も新鮮なのですが、イメージの元はあるんでしょうか。
なんかこんな場所に入ったらドキドキするかなっていいうのはいつも頭にあるかな。まあゴドーは道端の話だから、道端の両側にみんながしゃがんで見るのはどうかなというのがいちばん最初にあって、いつかそんなこともやってみたいとは思うんだけど、屋外でやるには技術的にもいろいろ問題があるし…、コクーンなんかでやるときは、屋外のような空間を作ってその中でまたお芝居をする空間を作ったりとか、理想の劇空間をもう一回劇場の中に作り出すということにこだわってると思います。照明は、いわゆる劇場にある照明機材だけでは面白くないなと思って、電気が点いたという喜びとか消えたときの感覚とかを出すために、こだわって水銀灯とか工事現場の照明とかを使っています
Q:ゴドーは、不条理劇、難解といった見方もありますが、実はきちっとした演劇的構造をもって、ある意味で現実世界そのものという気がするのですが、串田さんは何度も演出され、自ら演じられてきて、どんなふうに感じ、考えられてますか。それから緒形さんとのコンビでライフワークとして演じていきたいということをおっしゃってたようですが…。
子供のころって大人の話なんて全然分からなくても、そこにいるだけで楽しかったり、今だって世界のことなんて分からない。テレビ見ながら、ニュース見ながら本当は何にも分かってない。分かんないっていう気持ちを半分ごまかしながら生きてる。昔、僕らが学生のころは、大会社に就職すれば安泰。ソ連がなくなるなんて誰も思ってない。世界は二大勢力で動いている。ところが、今は、それが一晩で壊れることがあり得る。明日家帰ったら家がないかもしれない。今日の続きが明日じゃないかもしれない、という感覚が普通になっていて、そういう人たちが観てるから、ゴドーが分かるようになったんじゃないかなと思うな。50年経って、時代がゴドーに追いついたっていう感じかな。今はむしろ何もない人の生活のほうがドラマがあって、今のお芝居なんか、何にもないものが多いかもしれないですね。
ゴドーはずっとやっていきたいと思ってます。それから、同じメンバーか、近いメンバーで現代のゴドーみたいな新作をやってみたいと前から思ってます。