UZU・UZUインタビュー4

岩手に来てから民謡とか神楽を聴いて、

あっ、これはブルースだなって思った。

僕の音楽は、黒人霊歌をもじって

北人霊歌っていってるんですよ。


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星 吉昭(姫神)

聞き手:水戸 雅彦(えずこホール)

 

1997.5


東北・日本の心の原風景を紡ぐシンセサイザーの詩人、姫神が「えずこ音語りコンサート」で来館しました。リハーサルの合間をぬってお話を伺いました。

1年くらい休もうと盛岡へ、結局そのまま 居ついてしまいました。

−星さんは、宮城県若柳町出身で、現在は岩手県東和町にお住まいですが、東和町に住むようになったきっかけは?

 中学生のころから、デキシーランドジャズが好きで、キーボードを勉強しようということで上京し、編曲のためにアメリカの音楽のコピーをするという日々をおくっていた時期がありました。そのころ電子オルガンのコンサートでグランプリをとったりしたこともあったんですが そういったことにちょっと疲れてしまいまして…。そのときたまたま、盛岡に電子オルガンのインストラクターの仕事があって、1年くらい休もうということで行ったんですが、結果的にそのまま居ついてしまいました。それで、最初は盛岡の近郊に住んでいたんですが、音を出すものですからどこか山の中に移ろうと思いまして、たまたま友人の紹介で今の所に住むようになったというわけです。

−初めてのレコードが「奥の細道」でその当時確か盛岡に住んでいらしたと思いますが、どういったきっかけでレコードを出せるようになったのでしょうか。

 当時、ジャズを生んだ黒人霊歌がすばらしいと思ってたんですが、岩手に来てから民謡とか神楽とかを聴いて、これもブルースだなと思ったわけです。それでそういうものの影響を受けた音楽があってもいいのではないかと思い、実験的な変な曲を作ってたんですが、それがたまたまラジオで紹介されまして、それからレコード会社からレコードを出してみないかという話が来ました。私としては、個人的に岩手、東北の民俗音楽を研究するというつもりで、それが突然レコードという話になったわけで、始めからこういう音楽をやろうという目論見があったわけではありません。

僕は若柳中で ブラスバンドやってて、 大河原中はすごいなと 思ってたんですよ。

−音楽はいつごろから始められたんですか。

 中学のときに吹奏楽をやったり、ピアノを始めたりしたんですが…。そのころ大河原中学校のブラスバンドは県下有数で、編成も40数名、ほかのブラスバンドは20数名くらいで、僕は若柳の中学のブラスバンドにいて、すごいなと思っていた記憶がありますね。

−そうですね。一時期大河原中学校のブラスバンドはかなり高いレベルでした。そうするとそれほど小さいころから音楽をやってらしたわけではないんですね。

 私たちのころは、男の子がピアノをやるというようなことはあまりなかったですね。

−音楽を始められたころは、どんな音楽を聴いてらしたんですか。

 我々はビートルズ世代ですが、僕は電子オルガンをやってましたので、ジャズオルガンのジミー・スミスとか、それから1920年代のトミー・ドーシーとかデューク・エリントンなどのダンス音楽。ロックではシカゴとかをよくコピーしていろんなスタイルを勉強しました。

−姫神の音楽は、東北人、日本人の心の原風景を大きな流れの中でゆったりと、しっとりと歌い上げるといったイメージの曲が多いと思うのですが、それはそのまま星さんの心象風景ということなのでしょうか。

 私は、岩手の民俗音楽の影響を受けて自分で音楽を確立したいと思っていますので、日々そういう音楽に接して、それを具体的に自分の中で消化して、私なりの世界を作っていきたいと考えています。黒人の場合は、黒人霊歌(ニグロ・スピリチュアル)といいますが、私はそれをもじって北人霊歌といっているんですが、そういった世界を自分の中で作り上げていきたいと思っています。  明治以降の日本の音楽は、西洋の音楽を取り入れ、戦後はアメリカの追随という形でやってきたわけですが、私が東京にいて勉強していたころ疲れてしまったというのは、アメリカやイギリスのものをとにかく早くコピーするというようなやり方、何かみんなファッションでやっているようで、本当に自分は好きでこれをやっているのかなとふと思ったんですよ。それであるとき嫌になってしまって岩手に行ったんです。  そして、岩手へ行って岩手の民俗音楽を聴いたとき、あっこれはブルースだなってすぐ思ったんです。それで僕は日本のブルースっていうもの、北人霊歌というものがあっていいんじゃないかという視点に立ったわけなんです。  当時、16〜17年前ですが、そういう発想で音楽をやっている人はいなかったものですから、ある意味で勇気がいりましたね。キャニオンレコードの担当の人がとてもいいことを言ってくれたんです。それは「恥ずかしがらないでやってください」ということなんですが、今でこそワールドミュージックということで民俗音楽を主軸とした音楽が台頭していますが、当時は民謡などをベースに何かをつくろうという人は皆無に等しかったわけです。

東北の民俗芸能には縄文から続いているニュアンスがある そういったものの影響を 受けた音楽を創りたい。

−最近、青森の三内丸山遺跡の発見で、縄文観が大きく変わっています。星さんは、近年、縄文をテーマに音楽をつくられていますが、縄文についてはどんなことを考えていらっしゃいますか。

 縄文時代は約1万年続いたと言われています。そして弥生時代が始まって2千年足らずですが、三内丸山遺跡は私たちにとても大きなものを提示してくれていると思います。それは一言で言えば、文化程度が高く、しかも自然と人間が共生していた時代が長くあったということ。近年、地球の環境問題が大きな問題となっていますが、あの時代から学ぶことはたくさんあると思います。  まあ、僕は僕で自分の感じる縄文観で音楽をやっていきたいと思っていますがそれは楽しい楽園的なものなんですよ。東北はどちらかというと暗いイメージがあり、僕の生まれた時代には米しかなくて、米がとれないとどうしようもないという状況でしたが、本当は米を作ったから不幸になってしまったんであって、米を作る前はもっと豊饒な状況にあったわけですよね。それで、東北の民俗芸能には縄文から続いているニュアンスというものがあると思います。それは神楽やいろいろなものの中に見つけることができると思うんですが、そういったものから影響を受けた音楽というものを積極的に創っていきたいと思っています。

 それから、今、地声の合唱団を作っているんですよ。日本のオペラで「夕鶴」というのがあって、日本語をベルカント唱法で歌っているんですが、イタリア語とかに翻訳して歌うならいざ知らず、日本語で歌ってなんとも思わないという感性はおかしいと思うんです。それで、ブルガリアに地声の非常にレベルの高いすばらしい合唱団があって、ああいうことを東北でやりたいということで、縄文まほろば・蝦夷合唱団というのを結成したんです。ところが、地声の発声のメソッドというのは日本にはないんですね。ですから来年か再来年ブルガリアに行って学んで来ようと思っています。

−最新アルバム「久遠(とき)の空」のコンセプト、内容について教えてください。

 三内丸山遺跡に太い栗の柱が6本あるんですが、これにものすごいパワーを感じるんですね。今までの縄文観というのは、栗を拾ったり、少人数で移動したりというイメージですが、そうではなくて大変なパワーがあって、壮大なものを感じます。それで、こここそ21世紀の楽園であり、宇宙からの、未来人からのメッセージなんだととらえています。

 今回は、そういったことをコンセプトに、リズムをたくさん使い、ヴォイス(モンゴルや旧ユーゴのもの)やヴォーカルものを4曲くらい、それから早池峯神楽の笛をサンプリングして使っている曲もあります。まあ、全体的に元気があって明るい仕上がりになっていると思います。

方言の歌詞で地声の縄文讃歌をつくり、若い人たちと新しい郷土芸能を創造したい。

−これから、どんな音楽をやっていきたいと考えていますか。

 今一番やりたいのは、地声をきちっと歌 える人を10人くらい養成して、方言の歌詞で縄文讃歌をつくるということ。これは、去年、一昨年くらいから始めたものなので、2〜3年あるいは4〜5年くらいはかかると思いますが…。

 それから、最近、郷土芸能をやる若い人たちが出てきています。彼らはリズム感がいいんですが、彼らと一緒に新しい郷土芸能を作っていくということをやっていきたいと思っています。

−今注目しているミュージシャンはどなたかいますか。

 今回のゲストの許可(シュイクゥ)。彼は中国の伝統楽器の二胡の奏者なんですが、いろんな曲を弾くために、音域を広げるように改造したり、バイオリン奏法を取り入れたりして伝統を越えてやってるわけで、民俗楽器であそこまでやろうとしているのはすごいと思いますし、尊敬しています。日本の伝統楽器奏者もぜひトライして、演奏できるジャンルを広げてほしいなと思います。

−音楽以外でやってみたいことはありますか。

 草刈りがうまくなりたいなあと思ってます(笑)。今朝もやって来たんですが、山の中に住んでるもんですから、ビニールの糸がブーンと回って刈るやつなんですが、これがなかなか難しいんです。

−好きな作家とか本とかありましたら教えてください。

 司馬遼太郎さんの「草原の樹」とか面白かったですね。あとは、藤沢周平さんの作品とか面白くて、最近読み返したりしてますね。まあ気ままにいろんな本を読んでます。

−好きな色は?

黒っぽい色、藍色とかですね。

−好きな食べ物は?

魚、野菜が好きですね。その割には太ってるんですが、これは酒の飲み過ぎで、最近は、日本酒がちょっと危ないんで、ワインとか、焼酎にしてますが…。

−ありがとうございました。


姫神/
姫神=星吉昭(ほしよしあき)
1946年宮城県若柳町生まれ。1971年ビクター 電子音楽コンクールでグランプリ受賞。映画 「遠野物語」、NHK総合テレビ「ぐるっと海道 3万キロ」、「炎立つ」の“炎紀行”、同教育 テレビ「ふるさとの伝承」などのテーマ曲ほか 音楽担当多数。現在まで16枚のアルバムを発表。 97年8月17thアルバム「久遠の空(ときのそら)」 をリリース予定。東北の歴史と風土、そこに生 きる人々をテーマとした『北人霊歌』をシンセ サイザーで紡ぎ国内外で反響を呼ぶ。平泉毛越 寺など国内各地のほか、北京、スペイン、シン ガポール、香港など海外でもコンサートを行い 絶賛を博す。

▲97.7.11えずこホールにて

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