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米澤 牛(役者・演出家)聞き手:吉川由美(えずこホールコーディネーター)
1997.2 |
1977年2月22・23日の両日、4年目のAZ9ジュニア・アクターズの公演がえずこホールで開催されます。公演のタイトルは、「転校生〜時の十字路の物語〜」。今回の演出をなさっている米澤牛さんにリハーサルの合間をぬってお聞きしました。
−仙南地域のみなさんが楽しみになさっているジュニア・アクターズの公演が迫ってきましたが、その内容についてご紹介いただけますか?
「転校生」というタイトルで、AZ9の地域のとある小学校が舞台になります。その学校に転校生がやってきます。実はその転校生は、未来からやってきたのです。そして、さらに100年後の未来から10数名の子どもたちが迷い込んできます。学校の『時』が少しの間止まります。AZ9の歴史だとか、そこを通 りすぎた人々とか、未来はどうなっていくのかということについて、立ち止まって考えてみましょうということになる。激しくストーリーが動いたりもしないし、大きな物語もない。大きな事件というよりは、転校生が迷い込んできて起こるちょっとした事件を今の子どもたちの感覚でつづっていくセリフ劇です。 |
![]() ▲講演に向けて稽古にも熱が入る |
−楽しみです。ぜひ多くの方にご覧いただきたいですね。 子どもたちというと、児童劇のスタイルがかなりワンパターンになっている傾向があるかと思いますが、実は、もっといろいろな表現の可能性があると思います。AZ9の子どもたちとどんな表現を探っているのでしょう?
日本の演劇全体からいえることなのですが、地方でも都市でも多くの劇場がプロセニアム形式で額縁に入っている舞台になっています。そこでどう見せるかを考えていくために、多くの演劇が不自然になっていると思います。ぼくは、もう少し、人それぞれがもっている感覚・感じ方を自然に表現できないかなと考えているのです。北に住む子が寒くないと感じているのに、南に住む子は同じ温度で寒いと感じる。気温に対する人それぞれの感じ方が違うように、それぞれ違う「自分なりの感覚」に引っかけて、「自分の中の感覚」というものを武器にして演劇ができないものかなと思っています。こんなことを言うと、おとなしい芝居を想像されるかもしれないのですが、そうではなくて、普段はおっとりしているんだけれど、心の奥にある強さを自分で発見したりすることも、芝居を通じてできますし、かえってそんな自然な芝居の方が、心を打つものになるんじゃないかなと考えています。全部が全部はっきり演じなくても、野球の選手でも3割打てば一流ですからね。芝居の中でこのシーンだけは、という気持ちで、いわゆるストレート・プレイをすることができたら、すばらしいと思います。
−さて、地域が応援して演劇をつくるというジュニア・アクターズの事業も今年で4年目を迎えるわけですが、この事業は仙南地域にとってどんな意義をもつとお考えですか?
むずかしい質問です。40年、50年後に結果が見えてくると思います。子どもたちが親になって、同じ年代の子どもを持ったときに、そこで初めてその意義がわかればいいプロジェクトだと思います。ただ、基本はコミュニケーションですから、演劇を使って、あるいはAZ9ジュニア・アクターズを使って、人と話ができたり、けんかしたり、もめたりすることが有意義なことであるということは明らかだと思います。たとえ結果が成功であろうが、失敗であろうが。それが劇場の近くに住んでいる近所のおばちゃんであろうが、警備のおじさんだろうが、演劇に関わろうと思えば、そこからエネルギーを得ることができる。いつも劇場に通って見に来ればいろいろなことを感じるでしょうし。上演されるものの中には、失敗も多々あるでしょう。だから、みんなで大いに話し合い、もめればいいと思うのです。
−日本人は「もめる」ことがえてして苦手なところがあります。ともすると感情的になったり。しかし、本当のコミュニケーションとは、単に同調することではなく、お互いの感じ方や考え方がどんなふうに違うのかということを確認することだと思います。そこに真の理解と深い思考が生まれるのです。演劇を通じてコミュニケーション上手な人たちがこの地域に育っていけばすばらしい地域文化が成立していくでしょうね。
仙南には、たくさんのアート資源があると感じています。ゴミ処理場の跡地であるとか、村田の路地裏なんかもいい。こういうところは、アート資産だと思います。そこをいいなと感じられる人間が、どれだけ地域から出てくるかということが大切だと思います。そういう人間を育てるためには、いろんなものを観なければならない。ひとつには、いろんなものを呼んだりして、そういう機会を増やさなければならないと思います。売れてるものを実際観てみたらおもしろくなかったとか、あいつ縄文の話をしてるけど縄文なら俺のほうが詳しいぜとか自分を相対化する意味では、どんどん多くのものに触れたほうがいいと思います。
−演劇のような劇場芸術は、まだまだポピュラーではありません。
見ているといっても非常にジャンルが限られていて、ストーリーやセリフや説明がないようなものを観るととまどう人が多いと思います。舞台上で行われている現実をきちんと観る力や演技を観ながらイマジネートする力が弱い感じがします。だから新しい芸術の活力が地域に生まれてこないのではないでしょうか。だからいろいろなものを観ることは。大変重要なことだと私も思います。
また、ステイ型で何かを呼べたらおもしろいですね。たとえば何だかよくわからなかったけど面白い連中だったね、全然わからなかったけどきれいだったねというのが、表現の場合とても重要だと思います。表現は意味ではないのだから。意味じゃない部分で何か感じる体験をするためには、Aという芸術家がBさんのいえに滞在して交流することは効果的だと思います。
−近い将来、ぜひ滞在型の劇場芸術づくりを実現させたいですね。
−さて、米澤牛さんは、10月に1ヶ月間ポーランドで演劇祭に参加して来られたそうですが。
はい。千賀ゆう子企画のポーランド公演に役者として参加しました。ワルシャワから車で3時間半のところにルプリンという町があるのですが、東欧を中心に17ヶ国から劇団が参加し、3日間で7ステージずつを上演していく演劇祭がそこで行われました。町の人が日本の感覚だと500円程度の安いチケットで観るわけです。
演劇のタイトルは「コンフロンテーション シアター フェスティバル」。「反抗する演劇人たち」というような意味でしょうか。既成演劇に反抗すると銘打った前衛演劇祭を、町が町おこしとして行っているわけです。もちろんポーランドの一流企業も協力していますから、社会的にも認知されたレベルの高い演劇祭です。NPO方式で運営され、町とスポンサーが資金提供しています。事務局も参加する劇団もお金はもらわないのですが、各参加劇団には1ステージ200米ドルの経費が支払われます。ロシアや東欧のメジャーな劇団も来ていました。そのほかポーランドの2都市で公演し、さらにポーランドのアーティストたちの交流の中でアンジェイ・ワイダ監督の前夫人を紹介されたのですが、その別荘のカーデンでも公演したりしました。
−日本とは如実に違うなと感じられたことはありましたか?
まず、アーティストがだれもがもっている孤独感とか、アイデンティティーを探す姿勢、人と出会いたいという気持ちや精神に対して、迎え入れ方が寛大だと感じました。ひとりの人間のちょっとした心情に非常に敏感な観客なので、いいかげんなことができないんです。安易な演出や演技には、すぐにブーイングが出るのです。
感覚の違いを大いに感じましたね。日本人が得意なゆっくりとしたなめらかな動きとか間合いとか静かに迫っていくというような演技をすると、神聖ともいえる静けさになっていく。日本にいるとさほど意識していなかったのに、日本人ならではの微細な芝居に、客席が水を打ったように静まりかえったりすると、相対的に日本人としての自分を見直すことができました。さらにレベルが高い劇団が多かったこと、自分を発信できるエネルギーが強いこと、町の普通の人たちがお年寄りも若い人も前衛を楽しんで観ていることには驚きました。
−最後に今後の抱負は?
まずはぼくが培ってきたノウハウを仙南の子どもたちにも伝えていきたいと思います。また、役者として、演劇人として、ぼくを育ててくださいと言いたいです。のんびりじっくりとやらせて下さい。そして、ぼく自身の作品については、今までやってきた作業とは違って戯曲に頼りすぎず、これからは演出または役者が強く出る作品を稽古の中で創っていきたいと思います。東北で今自分がやっているということに突っ込んでいきたいと考えています。また、演劇人ネットワークを立ち上げていきたいとも思っています。
最後に、とにかく2月のジュニア・アクターズの公演を多くの皆さんに観ていただきたいです。発表会ではなく、子どもたちとともに作品として上演するわけですからきちんとご覧になって批評していただきたいです。 それが文化を育てることですから。 −ありがとうございました。 |
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米澤 牛/よねざわ ぎゅう
役者。ヨネザワギュウ事務所主宰。1994年十月劇場から独立し、演出家としても活躍。1995年度宮城県芸術選奨新人賞に輝いた。1996年度AZ9ジュニア・アクターズを指導、2月の公演を目指している。1997年春、仙台で自身の新作を公演予定。また、秋には在京の千賀ゆう子企画の東欧公演に役者として参加する。