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EZUKO THEATER

□2001年
第回公演「毎日、フツウ。」
9月8日(土)19:00開演
9月9日(日)15:00開演
稽古が始まって約2カ月。表現し、人に伝えることの難しさを改めて実感した役者たち。その声を代弁したような長谷野くんのメールです。
on 01.6.30 12:59 PM, yuuki haseno wrote:
知らない人(観客)が笑える状況は単純に面白いって思えることをする。それは知らない人が見ても解るもの、外観的なもの、例えば表情、しぐさ、話し方、動く速度など、普段自分が普通に考えないでやってることなんだと思う。普段の生活でも気持ちなんて実際なかなか伝わらないものだと思う。何年、何十年一緒にいても人の気持ちって解らないものだと思う。解るという人はそれは勝手に自分で解ったと思ってるだけで、ただの自己満足なやつだと思う。結局のところ自分の気持ちは自分しか解るわけなくて、自分の気持ちが間違ってない、これでいいのかなと思うから言葉にして話しちゃうけど、自分の気持ちを話しても伝わり方はみんな違うと思う。「伝えたこと」と「伝わったこと」は必ずしも=(イコール)にはならないからそれを=(イコール)に近づける努力をしていくことが必要だと思う。
演出の吉川由美先生から長谷野くんへの返信メール。その直前にえずこホールを訪れた名優緒方拳さんと吉川先生はいろいろお話をしていました。
先日、皆さんに緒形さんが残してくれた言葉を紹介しましたが、あえてもう一度。「下手は上手の始まり、上手は下手の始まり。いかに下手にやるかをぼくは毎日考えている。身体そのものでどうやるかを。下手でいいんです。気迫ですよ、気迫。」そして、先日言い忘れたこと。「役者が楽しくやっていないものをお客が楽しめるわけない。いかに役者が楽しむかです。」そう緒形さんは最後におっしゃったのです。
住民劇団の演出家やよいさん役を演じるのは、初めての役柄で戸惑いを隠せない中村さん(職業=教員)。旗揚げ公演から一緒に活動していた若い菅原くんの巣立った姿を新聞記事に見つけました。短いけど意味深いメールです。
on 01.7.6 7:18 AM, nakamura wrote:
学校で、河北の新聞で、オペラ座関連記事を読みました。えずこシアターとでてるよと、同僚におしえられて。菅原君の、「場所」にかかわるところを読んでたりしたら、「毎日,フツウ。」のやよいさんの心境になりました。たとえ、同じ時を共有しても、心の奥深くとりこまれる部分は、決定的に違うんだなあと。「生き方までかえられる世代と人・・・」
新人役者の仁美ちゃん(中学生)のママみわこさんから純粋な疑問の投げかけです。
on 01.7.19 4:31 PM, miwako isawa wrote:
舞台でいい意味で緊張するっていうのはいいことでしょうが、「あがりまくって、真っ白になる」っていうのはどうなんでしょうか?
いっくら練習したって、あがるものはあがります。それって、練習した「つもり」なんですか?それとも、回数こなせば慣れてあがらなくなるんですか?どうしたら舞台を「楽しむ」ことができるのでしょうか?新人の悩みです。
いろんな質問が飛び交います。演出の先生も大変だと思いつつ、先生からのなるほど返信メールです。
さて、むずかしい質問をいただきました。与えられたせりふをそのまま暗記して言うのなら、それは間違えてはならないことです。でも、その場の状況を理解し、自分で次の状況をある方向性に沿って創り出していくのなら自分と舞台で現在起きている状況に集中しさえすれば、その瞬間瞬間に反応していけばいいだけです。昨日と同じことをやろうと思うから、人は忘れてしまう。忘れることを恐れるわけです。しかし、今起きていることに対応するなら、忘れるとか間違えるとかということとは無縁になれます。逆にその状況を「楽しむ」ことができるのだと思います。ただし、この域まで達することができたら、ほとんどプロフェッショナルですけどね。
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