EZUKO PRO

 

えずこプロ(えずこアートプロデュース集団)




「えずこ天然音楽会Vol.3〜ゆんたくとウチナーライブ」

毎年、手作りでオリジナル企画のイベントを制作している
えずこアートプロデュ−ス集団(えずこプロ)。

今回は、沖縄音楽界最高の唄者といわれている登川
誠仁のコンサートをメインに、映画「ナビィの恋」上映会。
エイサー体験ワークショップ。沖縄民謡舞踊ミニライブ。
の3本のワークショップを併せて開催。
広く沖縄文化を楽しめるイベントになりました。

登川誠仁さんは本土ではめったにコンサートを開かず、当初招聘は不可能かと思われました。そこでえずこプロメンバーは、登川誠仁本人にそれぞれの熱い思いを手紙にしたためて送り、それが実現のきっかけとなりました。その10通の手紙。そして、コンサート終了後に送った手紙。併せてえずこプロメンバーによるコンサート当日の舞台袖からのリポートをご紹介します。



可能性は、人の心から始まる・・・。常夏の沖縄にえずこプロの思いを乗せた10通の手紙が舞い降りた。

私たちは、宮城県南部(仙南地方)、大河原町にある「えずこホール」で行っている「えずこアートプロデュース・ワークショップ」に参加している地域住民です。今年度のプロデュース事業のテーマは話し合いの結果「沖縄」でした。仲間がやっとの思いで見つけてきた映画「ナビィの恋」のビデオをみんなで観ました。このビデオをみんなで観終わった時、誰ともなしにみんなが「次の企画は沖縄で決まり!」「登川誠仁さんにぜひ来てほしい。」と口々に言っていました。映画を観ていて、私もあの手踊りの輪に入り、人々の優しく温かい心に触れたいと思いました。(中略)東北の片田舎ではありますが、逆に皆さんが仙南地方の地域の心に触れてもらいたいと思います。そして、自分たちの住む地域の中に、この沖縄の心を広げていきたいものだと思います。私たち地域住民の劇場である「えずこホール」が沖縄の心の発信地のひとつになれれば幸いです。つきましては、はなはだ勝手なお願いではありますが、ぜひぜひ私たちのホールにお越し願えないでしょうか。(略)
えずこアートプロデュースワークショップ  代 表  柴口 賢一

初めてお手紙差し上げます。突然の、また無理なお願いとは思いますが、私もぜひ登川さんに私たちの「えずこホール」にいらしていただきたく、この手紙を書かせていただきました。私は残念ながら「ナビィの恋」と何枚かのCD、それにインターネットから得られる情報でしか登川さんを存知上げません。でも、登川さんの音楽、そしてその姿はとにかく印象的で、ぐーっとその世界に引き込まれてしまいました。私は音楽が好きで特に生で楽しむことがでるコンサートが大好きです。演奏者、観客、スタッフが同じ時と空間を共有し、音楽を通してコミュニケーションが生まれる・・・。登川さんとそんな空間を一緒に創り上げていくことができましたら、本当に嬉しく思います。9月5日には東京でライブがあるとのこと。ぜひ伺わせていただきます。後日、登川さんにお時間がございましたらお会いしてお話をさせていただきたいと思うのですが、いかがでしょうか。検討いただけますようよろしくお願いいたします。東京でのライブを楽しみにしております。     藤野 理子


前略 この度、登川様がご出演されました「ナビィの恋」や歌に初めて知る機会を得ました。さて、映画では大変失礼とは存じますが、素朴でおとぎの国へタイムスリップしたようです。(中略)その中での歌は東北民謡とはちがってテンポもゆるやかで安心して聴け、心がなごみます。歌詞もユーモアがあり陽気で明るい気持ちになります。その他の作品には戦争の叫びがあります。私の叔父が六月二十九日戦争を前にして沖縄で戦死しました。そちらへは一度旅行をしました。そんなことを思いめぐらしながら聞かせていただきました。つきましては、ぜひとも当地へおこしいただればと思います。よろしくお願い申し上げます。草々    齋藤 勝

是非私の思いをお聞きいただきたいと存じます。過日、「ナビィの恋」を拝見しました折、初めて登川先生の歌を拝聴しました。私は日ごろ、特に沖縄民謡に関心があったわけではありませんでしたので、これまで先生の歌を聴く機会もありませんでした。その私が、今回先生の歌に出会い、言葉では言い表せない感動をおぼえました。この東北には私と同じように、もしかしたら、この素晴らしい歌を一生聴く機会のないまま過ごす人たちが大勢いるのではないかと非常に残念に思い、是非是非、当地にお越しいただき、お聴かせいただければと思います。私にはこの熱い熱い思いを、残念ながら、この手紙で伝えるだけの表現力はありませんが、その点はご理解いただければ幸です。是非、当地においでいただき演奏会を開いてください。 宮城 加代子


私は最近、沖縄の芸能について調べている内に登川さんの音楽と出会いました。登川さんの心にしみる唄声と三線に、すっかり魅せられてしまいました。(中略)私は宮城県の人々にも登川さんの音楽のよさを知ってもらいたいのです。宮城県という遠い所へ、しかも冬に、来てくださいというのは無茶なお願いですが、「もしかしたら・・・」という希望を託してお便りしました。どうか是非、宮城県大河原町のえずこホールにお越しください。心よりお待ちしております。 山中いづみ


その熱い思いは登川さんの心に届いた。そして東北でも初のライブが決定。そのライブ当日の様子を舞台担当でえずこプロのメンバーである海子輝一がリポートした。

開場午後6時を前に早くも3時過ぎには会場の外には観客の姿が並び始めた。冬の東北としては暖かな晴天の日であったが、高齢の方も多く見られたので、予定を繰り上げ午後5時にホワイエ開場とした。
 登川グループの構成は、登川誠仁と男女の三線の唄者3人ずつ(Eギターも含む)、太鼓、司会は照屋政雄である。
 新聞メディアなどで取り上げられた為にチケットは公演一月前には完売状態。観客層は幅広く10代から車椅子の80代まで、遠くは兵庫県からも訪れていた。午後6時34分公演のベルが客席のざわめきを静めるように鳴り響く。
 スポットを浴びて司会の照屋が緞帳幕前に飛びだした。間もなく緞帳が上がり登川誠仁を除いたフルメンバーの合奏で幕をあけた。
 6曲まで進行し沖縄ムードがひととおり会場に満ちた後、「セイジンはまだ出てこないのか?」という欲求不満が客席から舞台へとにじみ出るの感じた。司会の照屋が盛り上げようと更に話を引っぱるので、ますます舞台の上は注視のまなざしで熱くなるようであった。次の舞踊が始まり、舞台は暗転。上手の袖からは地唄方の唄が流れ、女の踊り手が中央に出てくる。しかし客席の熱気は収まるどころか興奮が高まった。なぜならば、上手の地唄には登川誠仁その人が入っており、垣間見える声と姿が曲間にそれを知らしめているのだ。踊りが終り司会の紹介、「地唄、登川誠仁!」。客席から歓声と拍手が沸き起こった。ニクイ演出である。

 始まって30分しての登場。客席が盛り上がらない訳がない。ステージに一人、六線を持って登場した登川誠仁。広い舞台にたった一人だがその存在感が広い空間と見事に対峙している。独演時に限り客席が20%程明るくなった。この事に違和感を覚える観客も少なくはなかったが、リハーサル時に登川本人からのたっての要望で、観客の表情がステージからも判るようにしてほしい、ということからだった。「自分は客の反応を見ながら曲を変えて行くんだ」と語る見事な芸人気質に、舞台担当として大きな不安だった「ポツンと孤独な独り舞台」というイメージは吹き飛んだ。天然記念物を眺めるような視線も絶妙なゆんたく(おしゃべり)と間で唄世界の陶酔の視線へと導いていった。これでやっと一安心だ、と気を抜いて間もなく、「私はこの後何度も出てくるから、これくらいにしときましょう。」と言って上手(かみて)に消えてしまったのである。独演予定時間30分の半分である!?と舞台袖はパニックを起こす。私たちは大慌てで次の合奏のセッテイングに向かった。

 これは休憩後の後半でも起こった。独演部分で同じく半ばほどで終りとなってしまった。「気難しい」という噂は本当だったのだろうか?退院して間もない体にこの気候の変化は厳しすぎたのだろうか?それとも昨夜の温泉で風邪でも引かれてしまったのだろうか?様々な憶測が舞台の裏表に巡っていた。しかし真相はそのどれでもなかったのだ。お弟子さんの口を借りれば、「先生はとても機嫌がいい」のであり、むしろ張り切りすぎてリハーサルの時に力を3割ほど使ってしまったのだ。その独演時間の短さを埋めるべく、また、お弟子さんの「機嫌がよい」という証言を裏付けるように、確かにこの夜の登川誠仁の舞台で見せる姿はコミカルな位光陰に躍り、はじけていた。地唄に加わり、独演でゆんたくを交え、太鼓では鋭いばち捌きで観客の心を鷲掴みにした。合奏時でも自在に舞台を歩き、三線を爪弾いたかと思うと太鼓のパートを横取りし、観る者を飽きさせなかった。究めつけは全てのプログラムが出尽くした後に急遽付け足された登川誠仁の「舞」である。リハ時に「今日はジジババ娘をやるから」とおどけていたが、頭に被った手拭を片方を口に噛んで独り舞うその姿は見事に艶やかな「女舞い」であった。変更に継ぐ変更ですっかりくたびれていた私たちも、その情感溢れ色気ある一挙一動に眼と心を全て奪われて魅入ってしまった。なんてカッコイイ爺さんなんだ!!

「さて、終電も早い地域だそうですので、これにて唄い納めとさせていただきます!カチャーシータイムの始まりです!どうぞ舞台に上がってきて一緒に踊りましょう!!」と司会の声が観客を目覚めさせた。伴奏が鳴りだし、登川の六線に火が点く。誠小の声は波紋の発信源となり、その波は固定席のホールを揺さ振り始めた。若い女性の数人が舞台に駆け上がったのをきっかけにたちまちステージは躍る観客で埋っていく。たまらず私たち裏方の一部もその輪に加わった。客席を見渡せば2階席で踊る姿も見える。「ナビィの恋」エンディングを彷彿とさせるシーンであり、それまでのホールの距離のもどかしさを全て燃焼させたかのような観客のエネルギーが加速する。その熱が地方と地方を隔てる壁を貫き、世代の壁を溶かし歓喜のマグマとなった瞬間であった。私たちえずこプロにとっても昨年の9月から準備してきた者としては束の間の夢であり、目指した登頂点のピークであった。 午後9時30分、公演は幕を閉じた。アンコールは無かったが、観客は夢に包まれてホールを後にし、全てを燃焼した空気だけが会場に残った。宮城の氷雨を浴びても、その熱はすぐには冷めなかったのではないだろうか?

 今回は私たちえずこプロの手紙から始まった企画であったが、確実に東北の3万に満たない地方都市に沖縄の空気が伝わったのを感じた。アンケートには「なぜ仙台でもっと宣伝してくれなかったの?」という意見も多数あったが、仙台のような大都市ではなかったからこそ価値があったと思う。遠くからの熱心な誠小ファンもいたが、付き合いできた地元の年配者も多かった。そんな彼等が一緒に舞台に酔った。それが目指してきたことであり、マスメディアのフィルターを除いたリアルな体験がそこにある。えずこプロのメンバーも昼間は素人であり、しかしそれぞれの特色を活かして公演に臨んだ。舞台裏でもお弟子さんとの交流で文化の違いを肌で感じ、共通点も多く見い出せた。その個と個のつながりが本物の理解と感動を与え、それがメンバーから地域へと広がっていくことだろう。私事ではあるが、今回はポスターと舞台美術で共演できたことでこれ以上望みようの無い至福の一時を過ごすことができた。公演後、登川氏のお弟子さんから口々に「このポスターは沖縄の方でも好評ですぐなくなっちゃたんだよ」、と聞き涙がこぼれ落ちそうになった。ポスターの絵を記念に登川氏本人に進呈した折のこと、差し出された手は大きく、厚く、柔らかな温もりがあった。   海子 揮一


公演が終了。えずこプロメンバー全員が沖縄文化に魅了され、走りつづけた8カ月。本土にはない異る文化を通し、感じたことや学んだことがたくさんあった。えずこを後にした登川さん一行に向け、それぞれの感謝の思いをそれぞれの手紙に綴って送った。


今回、先生の島唄に子どものころ唄ったと一緒に口ずさみ涙を流して懐かしんでいるお客さまもおいでになりワークショップで料理を作っていただいたお店の方にも、あれ以来お客さまが増えたと喜んでいただくなど、多方面でプラス効果もでて、これが私たちの目指すものではないかと改めて痛感いたしました。本当にありがとうございました。機会があれば沖縄の地で島唄を聴いて踊ってみたいと思っています。皆さま、益々お元気でご活躍をお祈りしております。追伸、先生 またインディアン(?)の雄たけびをアワアワアワと一緒にほえてください。楽しみにしております。 板橋 芳子


先日は素晴らしいステージを大変ありがとうございました。貴重な登川さんのバチさばきや踊りを近くで見ることができて、とても感動しました。美しい着物、踊り、そして三線の響き・・・。いつの日か、今度は私が登川さんの唄を聴きに、沖縄へ行きたいと思います。どうか、いつまでもお元気で。本当にありがとうございました。 山中 いづみ

(前略)私たちもすごいコンサートを実現したんだなぁと改めて感慨にふけりました。そして、幸せな気分にさせてもらいました。こんな充実感や満足感を味あわせてもらい幸せな気分にさせていただいた登川さんと仲間の皆さまに本当に感謝いたします。会う友達からも「良かった」「楽しかった」「踊りたかったカチャーシーを踊れてよかった。」「明日への元気をもらったよ」などなどお褒めの言葉をいただきました。(中略)登川さんのご健康とこれからもご活躍されることをお祈りいたします。  柴口 賢一

前略 先日は遠路宮城にお越しいただきありがとうございました。えずこプロ一年生の私は何も分からず期待や不安などいろいろな思いで1月26日を迎えました。会場のお客さまから「今日の日を楽しみにして来た」との声や演奏後の来場していただいたお客さまの満足感の声を聞いたとき、人が人を感動させることのすばらしさを感じました。私自身も登川さんが太鼓をたたいた時の身体の動きがとても可愛いらしくて今でも目に焼きついています。言葉では言い表せない満ち足りた気持ちを持つことができました。私の主人と娘もコンサートに来て良かったと言っていました。その後お体の調子はよろしいですか?御体大切になされ、ますますご発展をお祈りいたします。 新山礼子


※手紙文は、紙面の関係上、一部省略しています。ご了承ください。             



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