UZU・UZUインタビュー16-1

えずこスペシャルコンサート
EZUKO SPECIAL CONCERT

2001年6月8日。coba(アコーディオン)、GONTITI(ギターデュオ)、小松亮太(バンドネオン)が一堂に会したえずこスペシャルコンサート。全国津々浦々から集まった超満員の会場は、最高の盛り上がりを見せました。そのコンサートの準備の合間を縫って、3人のアーティストたちにお話を伺いました。

小松亮太インタビュー
RYOTA KOMATSU INTERVIEW

タンゴの新しい世界へ・・・。

ピアソラ、ファン・ダリエンソ・・・
     先人たちの偉業を見つめ












小松亮太
(2001.6.8 インタビュー)




小松亮太/
14歳よりバンドネオンを独習。16歳よりカーチョ・ジャンニーニに師事。音楽理論を桐朋学園大学教授、岡部守弘氏に師事した。両親は、ともにタンゴ奏者で、母小松真知子はタンゴ・ピアニストとしてピアソラとも親交があった。98年、CDデビュー。共演は、ピアソラと共に活動したタンゴ界のトップアーティストたちであった。同年9月には、同メンバーによるコンサートツアーが行われ、圧倒的な人気を得た。以後、小松亮太自身のユニットである「ザ・タンギスツ」をひきいて年間約100公演をこなすなど精力的に活動を展開。CDは、2001年1月発売の最新盤「ラ・トランペーラ」を含め、すでに5枚をリリース。タンゴが若い世代でブレイクする引き金となり、ジャンルを越えて新しい刺激をもたらし続けている。現在、日本を代表するバンドネオン奏者であるとともに、日本タンゴ・ミュージック・シーンをリードしてゆく存在として大きな期待を集めている。


僕のやっていることは、
本来ロックアーティストのやるべきこと・・・。

Q:14歳からバンドネオンを始められたということですが、両親のバンドの関係で、自宅にバンドネオンを預かることになったことがきっかけだと聞きました。はじめてバンドネオンに触れたとき、何か感じられたことはありますか?

両親の仕事もあってよく見てましたから、何となく楽器のことは知っていました。実際触ってみて、ギターなどもそうですが、楽器には例えば、音が上がっていく法則性というか、方向性がありますよね。でも、バンドネオンの場合、ドレミが規則的に並んでないんです。それには、最初驚きました。だから、この楽器をやり始めた人は、それが難しくていやになっちゃう人と、逆に面白いと感じる人に分かれてしまうんです。僕の場合は、後者で面白いと思い続けられました。とりあえず、ドレミファを全部覚えると偉いのかなっていう気がして、それらを覚えるところから始めました。演奏者の僕から見て、楽器の左側に低い音のボタンが33個。反対の右側に高い音のボタン38個あります。持ち運びができ、オルガンみたいな音がするということで、cobaさんが弾くアコーディオンのオンという字とこの楽器を発明したドイツ人でハインリッヒ・バンドという人のバンドという字から、バンドネオンと単純にネーミングされました。確かに操作は、複雑ですが、誤解してほしくないのは、実際にはどんな楽器でも難しいということです。この楽器だけが、特別に難しいという感じになったせいで、弾く人が少なくなってしまったんですね。でも、勉強していけば、当然普通に弾けるようになりますよ。

   


Q:最初に手にしたバンドネオンが、ビクトル・ラバジェン氏から買ったものだったということは、運命的という感じがしますが、そのことは、後から分かったことんですか?

運命的というか、あんなにすごい人が生活のために楽器を売ったということを、初めに考えちゃいました。実際に日本で共演してみて、こんなにすごい人がと思ったんだけれども、ツアーで弾き終わった楽器を売り払っていることを考えると、今のアルゼンチンにおけるタンゴの世界の問題が浮き彫りになっているような気がしますね。
Q:この楽器を14歳から始められたことを考えるとここまで上り詰めるのはものすごいスピードだと思うのですが、ご自分ではどのように感じていますか?
バンドネオンを弾く人が、日本にはいなかったことは大きいと思います。僕の場合は、アルゼンチンのように教則本など最初まったく手に入らなかったんです。ある程度ドレミファを覚えた後、タンゴの有名な曲を練習していたら、タンゴをやっているプロやアマチュアのバンドから次々と出演してくれないかという依頼があったんです。ドレミファを覚えた時点からそんな話があったわけです。何月何日仕事が入っちゃったって感じです。本番だけがどんどん決まっていきました。先生も教則本もない僕でしたし、無我夢中でした。いま思うと、音楽的にはあまり良くないことです。ですから、これからそういうことをしようとしている人には、お薦めしません。(笑)


Q:この楽器を14歳から始められたことを考えるとここまで上り詰めるのはものすごいスピードだと思うのですが、ご自分ではどのように感じていますか?

バンドネオンを弾く人が、日本にはいなかったことは大きいと思います。僕の場合は、アルゼンチンのように教則本など最初まったく手に入らなかったんです。ある程度ドレミファを覚えた後、タンゴの有名な曲を練習していたら、タンゴをやっているプロやアマチュアのバンドから次々と出演してくれないかという依頼があったんです。ドレミファを覚えた時点からそんな話があったわけです。何月何日仕事が入っちゃったって感じです。本番だけがどんどん決まっていきました。先生も教則本もない僕でしたし、無我夢中でした。いま思うと、音楽的にはあまり良くないことです。ですから、これからそういうことをしようとしている人には、お薦めしません。(笑)

Q:24歳ごろにTVやメディアに多く取り上げられるようになりましたが、ピアソラブームなどの影響はあったんでしょうか?

タンゴを始めたころは、「タンゴをやってます」と言っても、「タンゴってなんですか」と逆に聞かれたり、「社交ダンスの伴奏ですか」という状況でした。とにかく、僕はアルゼンチンタンゴの冬の時代を10代で経験していますから・・・。ライブハウスで演奏しても本当にお客が来ないとか、自分でお金を出して自主コンサートをやったり、音楽学校の学生が集まるところで、僕はタンゴを演奏するといったら、バカにされたりもしました。たくさん辛い思いもしまして、このままでいてたまるかという思いもありました。その後、22歳のときに自分のバンドを作りたいと思ったんです。そして、アストル・ピアソラのタンゴをやることで若い人たちにも少しでもタンゴを受け入れてもらおうと思ったわけです。2年ぐらいして、ギドン・クレーメルやヨー・ヨーマがタンゴのCDを出すということを新聞を見て知りました。もしかしたら、タンゴのブームか来るかもしれないという予感は持ちましたね。その時分、僕もピアソラのレパートリーをたくさんもっていて、レコード会社の方がたくさん見に来られてました。その中のレコード会社の女性が、楽屋に飛び込んできて、あなたのCDをぜひ出したいと言ってきたんです。ちょっとびっくりしましたが、そのころからTVやラジオに頻繁に出るようになって、生活が180度変わりましたね。でも、タイミングがあったのは確かです。僕がやっていることが1年でも遅れていたらだめだったし、ブームが来るのが1年でも遅れていてもだめだったでしょうね。

Q:このピアソラブームでタンゴのイメージががらりと変わったと思います。小松さんの最初のアルバムが、そのピアソラ五重奏団の元のメンバーをバックにしてレコーディングされましたが、どういった経緯だったのでしょう?

ピアソラブームでタンゴのイメージは本当に変わりました。でも、逆にいうと、ここまで誤解されていたかとも思いました。これじゃ、お客さんが来ないのも仕方がないと。レコーディングのとき、いろいろその担当の方とお話しましたが、これだけタンゴのことが知られていない現実を考えると、強くアピールするには、とにかく大きなことをするしかないということだったんです。それが、ピアソラといっしょにやってメンバーとレコーディングすることでした。デビューするときにいきなりそんな人たちと仕事をするわけですから当然プレッシャーはありました。でも、あの冬の時代を考えると、とにかくやるしかないと動きだしました。アルゼンチンでレコーディングしたんですが、僕にとって初めて勉強らしい勉強をしたという感じです。あの方たちと一緒にやれて、本当にカルチャーショックを受けましたね。これくらい弾き方が違うのかとも思いました。

Q:最近の活動についてお話いただけますか?

いまやっているのは、ピアソラ以外のタンゴ曲を演奏することで、こんなに面白いものがあったんだと思わせることです。それから、バンドネオンが知れ渡ってきたこともあり、子どもにバンドネオンを教えています。バンドネオンの学校を作ろうと言い出していて、この夏には、それをどうするか決めたいと思っています。バンドネオンという楽器自体が少ないものですから、それを今集めている最中で、教育制度というかカリキュラムをしっかり作ることを考えています。昨日も小学生に教えていたんですが、才能のある子が何人か出てきています。この二つを柱にしていま活動しています。

Q:あえてピアソラの曲を1曲もしないコンサートを行なうようになったわけですが、これはある意味冒険だったと思うのですが、お客さんの反応はどうだったんでしょうか?

冒険であると同時に、もしもこれで評判が落ちたら、タンゴという音楽が持っている運命もそれまでだし、それで終わりだと思っていました。はっきりいうと、初めて総てピアソラでない曲で構成し、それが全部だったわけですから、はてなと思った人も多くいたと思うんですが、半分以上お客さんがワッ〜と喜んでいただき、その反応を見て、これははっきり成功だと思いました。逆に言いますと、ピアソラのタンゴをたくさん聞いてもらった後だからあれを分かっていただいたと思うんですよ。だから、僕がやってきたのは、ピアソラの曲が80%であとの20%がそれ以外の曲で、その後、ピアソラの曲が60%で残りの40%がそれ以外の曲というふうに、だんだん逆転させていったんです。お客さんの耳を慣らしていきました。その集大成が、昨年やったピアソラの曲を1つもやらないものだったんです。ピアソラは、タンゴという音楽にジャズやクラシックやロックなどいろいろな音楽をミックスしたとよく言われますけど、核はやっぱりタンゴなんですね。ピアソラの音楽を一所懸命聴いていたのなら、そして、その核の部分を分かっていたのだったら、ピアソラの曲をやらなくたって、タンゴの良さを分かってくれるんじゃないかと思い、お客さまに投げかけたんです。それが、とてもいい反応でした。ピアソラの曲をあれだけ真剣に聴いてくれたのだから、これからは、ピアソラ以外の曲も真剣に聴いていただけるんじゃないかと思います。

Q:プグリエーセ楽団をはじめ、ピアソラ以外でもたくさんの素晴らしい演奏者がいるとお話されてましたが、その辺をもう少し詳しくお話しください。

ピアソラの先生のような存在の人や先輩にあたるような人とかあるいは同年代でものすごい人はわんさといますね。オラシオ・サルガンとか、いま言われたオスワルド・プグリエーセとかですね。それからピアソラの対極に位置するピアソラとは天敵みたいな人たちですけど、ファン・ダリエンソだとかね、ピアソラの天敵というくらいですから、やっぱりすごいんですね。ピアソラの意見とは正反対のことをやっているわけですから、それはそれでとんでもない演奏をしているわけですよ。日本にも藤沢嵐子さんとか実際にすごい人がいます。ただ残念なのは、本場のアルゼンチンに行っても、タンゴという音楽が元気がないということです。これは、悲しい現実です。だから、僕が言いたいのは、バンドネオン奏者を日本でたくさん生産して、日本でタンゴをできるようにしちゃおうということです。いい意味でアルゼンチンから日本にタンゴが引っ越してしまえば、日本だけではなくてドイツやアメリカ、フランスなりに引っ越してしまえば、タンゴは面白くなると思います。

Q:バンドネオンの学校づくりといったお話も出ましたが、日本でここまでやりたいというのがあれば教えてください。

逆にここまでやらなきゃだめだろと思っていることがあるんです。ピアソラからピアソラ以外の曲をやるようになったと言いましたが、そうなると次は、日本人じゃないとできないタンゴの作曲ですね。例えば、東京にタンゴのバンドが20や30はないとおかしいんですよ。ジャズとかロックとかだったらたくさんあるんだから、バンドネオン奏者だっていなきゃいけないと思うんです。つまり、日本でバンドネオンコンクールが開けるようになるとか、本場のアルゼンチンでできなくなったことをここ日本で全部やれたらと思っています。そこで、非常に僕が緊張感を持っているのは、せっかく増えたお客さんに対応できるタンゴミュージシャン、つまりオピニオンリーダーのような存在の人が少なすぎることです。需要が非常に増えてありがたいことなんですが、今度は供給する側が対応できないという状況があるんです。要するに、バンドネオンを弾く人が増えてこれば、いい方向に行くだろうと思っています。今は、僕が一人何役もこなす形ですが、僕と反対意見のバンドネオン弾きが出てきたときにいまよりもずっと良くなるんじゃないかと思います。それから、バンドネオン奏者を育てると同時にいろんな音楽学校に入って、タンゴ専門で食べていく人を増やさなきゃいけないと考えています。クラシックやジャズの人がついでにやるジャンルではいけないんです。ですから、ちゃんとしたヴァイオリンのタンゴの弾き方やピアノのタンゴの弾き方をはっきり打ち出していかなけらばなりません。実は来年約半年くらい休もうと思っているんです。二十歳前ぐらいの若い年代をかき集めて、タンゴを弾く場をどんどん作っちゃおうと考えています。ワークショップみたいなものを多くやって、実際に演奏をしてもらうんです。ミュージシャン側を意図的にタンゴが好きになるようにしようというものです。そのピアノやヴァイオリンの子たちに自分が育てたバンドネオンの子たちをぶつけてみるということを考えています。自然発生的にこうしたことを待っていると時間がかかり過ぎるので、こっちから仕掛けていこうと思っています。

Q:普段の生活の中で好きなもの、趣味などがあったら教えてください。

実は、プロレスが好きなんですが、音楽をするのと似ているところがあって、例えば、前座の試合から第何試合とかというふうにずっと試合が続いていくんですが、どの辺りに盛り上がりをもってくるだとか、誰と誰の対戦をどの順番で見せればいいのかなど、音楽の場合、今日のコンサートではどの曲を最後にぶつければ面白くなるのかといったバランス感覚というのかな、参考にするとうまくいくなぁと感じているんです。このことは、今日はじめて喋ったかもしれませんね(笑)。それから、散歩が好きで、近所のおばちゃんたちとお話もします。音楽をやっているからといって、俺はミュージシャンだぜっていうような風を切るような態度は嫌いなたちで、音楽をしていないときは、なるべく普通にして生活しています。その方が、全体としてバランスがとれやすいんでしょうね。


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