UZU・UZUインタビュー10

何もしなくてもうまくいくって

ことが、2年に1回くらいある。

神様が降りてくるって感じ・・・。


 

 

近藤房之助




1999.7.9
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Q、ブルースにのめり込んだきっかけは?

近藤-僕はビートルズ世代で、特にロックンロールものが好きでその向こうにブルースがあったって感じですね。最初古本屋で「フレディーキング・イズ・ブルースマスター」っていうレコードを買ったんですが、最初分かんなかったですね。それで、しばらくたってからまた引っ張り出して聴いたらすごくいいんですね。「これがブルースか」って思ってそれから一辺倒でしたね。そのころフリージャズなんかも好きで、同じ感じで聴いてました。アルバートアイラーなんか、今聴くとブル−スに聞えたりしますね

Q、それはいつごろのことですか?

近藤-中学校3年のときです。あとはもういけません。どっぷりです。

Q、そのころどんなミュージシャンの音楽を聴いてましたか。

近藤-マディ・ウォーターズ、バディ・ガイ、オーティス・ラッシュとか、シビレてましたね。後に、全員と共演したんですが…。それから、そのころブルースの日本盤がなかったんで、スウェーデンのコレクターに手紙出して5ピース買って、1ピースは自分のものにして、4ピース売って小遣いにしたりとかしてました。けっこう英語得意だったんで…。 

Q、ブレイクダウンはいつごろから始めたんですか?

近藤-26歳のときです。71年のころブルースブームがあって、その後ぼちぼちやろうかって感じで始めたんです。

Q、あのころ関西でブルースが盛り上がってましたが、どんなバックグラウンドだったんでしょう。

近藤-70年代の気風でしょうかね、それと全共闘が支持してくれたんですね。まあ、当時僕は名古屋にいたんでよく分かんなかったですけどね。

Q、最近のレパートリーはいろんなジャンルの曲を取り上げてますが、それはどんなところから…。

近藤-よく聞かれるんですが、歌詞ですね。たとえば黒人音楽の場合、ブルースとゴスペルに分けられるんですが、違いは歌詞の向こうに神がいるかいないかということなんです。僕は無信心なもんですから、ゴスペルはできないんで、普段の生活を歌ったブルースがピンとくるんですね。それで、それを押し進めるとたとえば、「雨に歌えば」(バート・バカラック)なんかブルースに聞えたりすることがあるんですね。それで、それまで形にとらわれてたんですが関係ないんだなと思って…。オリジナル書き始めたのもそういった理由だと思います。実は僕、昔から歌謡曲やってみたかったんです。フランス語で歌う流行歌はシャンソン、イタリア語ではカンツォーネっていいますよね。日本語では歌謡曲でいいと思うんです。それで僕にとっての歌謡曲って何かなっていうと、「上を向いて歩こう」とか「ヨイトマケのうた」とかすばらしい歌がいっぱいあって、ああいうのを僕のオリジナルでやっていきたいなって思ってます。

Q、ディーペストポケットで全国津々浦々ツアーされてますが、何か面白いエピソードがあったら教えてください。

近藤-兵庫県の人口140人しかいない小さな村で、210人入ったっていうのがありました。まあ、若い人たちが里帰りしてたってこともあったんですが、老若男女ほとんどみんな来てくれてすごく嬉しかったですね。思うに、県庁所在地ってのはどこも同じで、東京志向が強くって、中央の資本が入って開発されると、大体同じようにつまらなくなってしまうんですね。だから僕はもっともっと奥へ行こうって言ってるんです。僕、旅好きですから。

Q、いろんな所を旅されてるようですが、どこがよかったですか?

近藤-今すぐ行きたいなと思うのはチベットですね。はまってもう4回くらい行きました。日本と逆で何もないけど豊かなんですね。僕、もともと物質欲ないほうですが、たとえば洗濯機が壊れると、新しいの欲しいなとか思ったりしますよね。今僕やもめですから(笑)。でも、そういう発想がまったくないんです。何もなくてもいいじゃないかっていう気分になるんですね。ツァンパっていう麦こがし、それにカイワレみたいな菜っ葉をはさんで食べたり、あとはバター茶、それに山羊の肉をつぶして作ったモウモウっていう餃子みたいなやつを食べて、それで十分なんですね。

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▲99.7.9.のライブシーンより
 (平戸間ホール)

Q、BBクイーンズについてですが、名前はBBキングのパロディーなわけですが、どんなきっかけで始まったんですか。

近藤-BBキングに話したらちょっと怒ってましたけどね(笑)。ほとんど余暇で、NHKのみんなの歌ににのっかるようなものをやろうっていう発想で始まったんです。形はうんと変わっちゃいましたけどね。それでヒットしちゃって困りましたね。

Q、「おどるポンポコリン」が大ヒットしてどうでした。

近藤-当時、テレビ持ってなかったもんですから、しばらく知らなかったんですよ。後で印税で買いましたけどね(笑)。コンビニなんか行くとばんばんかかってて、あれっ、どっかで聴いたなあって思ったら自分の歌なんですよ。そうだ俺これやったよっていう感じでしたね。あとはもう勢いだけで、なんだかよく分かんないうちに終わっちゃいましたね。でも、BBクイーンズの仕事がつまらなかったかっていうとそうじゃなくて、楽しんでやっちゃったとういう感じです。

Q、歌ってていちばん気持ちがいいときってどんなときですか。

近藤-ほんとにいいときって、無理やり歌わなくていいんですよ。何もしなくても最高にうまくいくっていうことが、2年に1回くらいある。神様が降りてきちゃうていう表現しか思いつかないんですが。それがあるんでライブはやめられない。アグレッシブにやろうとするときって、あんまりいいときじゃないんですよ。それで、僕はバンドリーダーの役目は、音楽を頑張ってやるっていう方向じゃなくって、いかに4人のバイオリズムを束ねて神様が降りやすい状況をつくるかっていう、巫女さんみたいな役割だと思ってます。いいときって、いつも10lでやってた音楽が100lになるんですよ。

Q、ニューヨークとロンドンでも活動されてますが、日本との違いって何かありますか。

近藤-同じですね。ただ向こうで人まねは通用しません。それから、ニューヨーク、ロンドンまあシンシナティでもいいんですが、そういったところで起こってることは世界発信しますが、たとえば、徳島、大河原で起こってることは世界発信しない。文化の発信地にいるかいないかという違いはありますね。でも、そういったことが分かってくると、逆にもうどこでも音楽できるんじゃないかっていう気もしてますね。

Q、音楽以外でもいいんですが、これからどんなことをやってみたいですか。

近藤-音楽では、今ニューヨークとロンドン、日本と3つプロジェクトもってるんですが、これからあと10年くらいかけてそれを1つにしたいと思っています。音楽以外では、ものを書くのが好きで、「蜜柑の山に梨がなる」っていう同人誌をやってまして、書いたものを単行本にしたいなと思ってます。

Q、好きな本とか作家、
ありましたら教えてください。

近藤-はまってるのは辺見庸さんです。今、いちばん信用できる作家だと思います。あとは、遅れ馳せながら司馬遼太郎さんですね。「街道を行く」なんかうならせますよね。

-ありがとうございました。

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▲99.7.9.のライブシーン

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