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宮本亜門(演出家)
1999.2.25 |
今回の宮本さんのデビュー作品であり、ロングランヒットとなった「I GOT MERMAN」が再演されることになりましたが…。
8年前までやってまして、そのあと、ダンスや映画やお芝居やオペラをやったりしてたんですが、41歳になりまして、初心に戻りたいということもあって再演することにしました。映画を撮ったりして3年ぐらい休んでいたんですが、もう一回ゼロからスタートしようということで、エンターテインメントを創り始めた時のあの作品と関わってみたいと思いました。また、あの作品を見てない方も多くなっているので、宮本という人間がどこからスタートしたかということを見ていただきたいと思ったのもあります。初演の時のオリジナルキャストからももう一回やりたいという声もあったので、東京では同じキャストでの再演となります。
キャスティングはオーディションですか?
オリジナルキャストに関しては、ぼくが29歳のときでしたが、振付師だったときに知り合った人で、あぁステキだなぁと思った人たちに、直接電話をかけさせてもらって決めました。それ以降は、オーディションで決めています。素質がいい悪いではなくて、それぞれの作品にあった人を、オーディションでは客観的に見ることができます。だから、オーディションに期待もしますし、新しい発見もあるんです。
キャストが変わると同じ作品であっても内容が変わりますか?
ブロードウェイやロンドンもそうですけど、キャストが変わることによって、オリジナルキャストのときとは違った作品になってくるし、違った姿を現わします。ぼくにとってはそれはおもしろいですね。
「I GOT MERMAN」は、50〜60年代のブロードウェイ・ミュージカルの黄金期にミュージカルの女王として君臨した、エセル・マーマンという女優の生涯を描いています。今回のキャスト3人の強い個性を出し合うことによって、ひとりの女性の生涯を語ってほしい思っています。それはひとつではなくて、いろいろな語り方があっていいと思っています。
ただ、変わってほしくないのは、ブロードウェイの黄金期の、あのすばらしいコール・ポーターやガーシュインたちの数々の音楽や歌のすばらしさやエンターテインメントのスターたちの魅力を伝えることです。これを若い人たちにも、こんなにすばらしいんだとちゃんと伝えてほしいと思っています。
初演のときから8年の歳月が流れています。オリジナルキャストの3人も成長していると思うし、それぞれが人生経験をつんでいます。マーマンが子どもをなくしたり、離婚したりするいろんなシーンが出てきますが、それぞれに深さが増すと思うんですね。
前の時もキャストの人生の中でいろいろなことがあって、キャストのご主人が亡くなったあとに歌った一曲とか、母親が亡くなったときの中島啓子の一曲であるとか…、ただのショーであったものが、彼女たちの生活とともに深みを増すところをみてますから。
それぞれの人生の深い刻みが、作品を成熟させていくのではないかと期待しています。みんな「I GOT MERMAN」という作品にまた出会って、昔の自分を思い出して、そして、今の自分を確認して、作品を作っていくんじゃないかな。
舞台をこんなふうに見てほしいというメッセージはありますか?
観客がどういうふうに見ようとかということを生真面目な日本人は、気にしすぎると思います。おもしろくなかったら途中で立って帰ってもいいし、楽しかったら拍手をして…笑いたかったら笑って。ほかの人が拍手しないから、我慢して自分もしないというのではなくて、なるべく心をオープンにして、せっかく買った一枚のチケットを楽しめばいいと思います。それこそファッションで楽しんでもいいし、その前に飲んで来てもいいし、自分自身を演出して、劇場という場所でエンターテインメントを楽しみに来てくれればいい。そうすれば、自分なりの楽しい時間が過ごせると思います。変にあれこれ考えない。ああ見よう、こう見ようなんて手引きは、ぼくは嫌いですね。人それぞれの感性があるんですから。
「I GOT MERMAN」では、エセル・マーマンという一人の女性がブロードウェイのショービジネスの厳しい世界で生きた生き様がそのまま描かれています。特に女性の方には、彼女の生き方に勇気づけられるという方が多いと思います。
元気のない今の時代ですから、真剣にショービジネスを生き抜いた女を見て、パワーをもらって帰ってもらえるんじゃないかという気がします。
ミュージカルはもともと外国のものです。ブロードウェイ・ミュージカルを日本語に置き換えたものと本物とを見比べると、がっかりするとよく耳にします。宮本さんの功績は、真似を脱却して日本語で向こうのものに負けないオリジナルのミュージカルを創られたことだと思います。その宮本さんご自身が感じておられるむずかしさとはどんなことでしょう?
正直言うとおっしゃるとおり、僕の口からは言いたくないけれど、ロンドンやニューヨークへ行って帰ってくると、日本のミュージカルは100年遅れてると思うんですね。最初ブロードウェイに行ったときもそうでしたし、これだけ仕事をして久々に行くと、またこんなに遅れてる、彼らは立ち止まっていてくれないという感じです。
スタッフにしろキャストにしろ、競争競争の中で、世界中からロンドンやブロードウェイに来てショービジネスの世界で戦っている彼らを見ると、感動するし、勇気づけられるし、そして、いつも絶望感に苛まれるのは正直なところです。
じゃあ、日本がミュージカルに向かないのかというと、そうではなくて、逆に今彼らと話をしてみるとそろそろアジアだろうという期待は高まっています。だって、ロンドン・ミュージカルがブロードウェイ以上の観客を動員するようになるなんて、誰も想像してなかったことなんです。50〜60年代のブロードウェイ・ミュージカルに、ロンドンが勝ったという事実もあるんですから。
エンターテインメントとは無縁だったあのヨーロッパのあちこちでも、ブロードウェイに負けないくらいの、金をかけたミュージカルが上演され始めています。ユーロ統合の影響もあるんじゃないかとは思うんですが。
ミュージカルというのは、観客の年齢層も幅広いし、確実にビジネスになるんですね。世界中の人たちがロンドンやブロードウェイを見て、いろいろな年の人たちが自分たちも見ているだけじゃなくて創りたいと思っているのは当然ですから、これからもどんどん出てくるはずです。
今、シンガポールのミュージカルの力はすごいですし、ホンコンもどんどんミュージカルを創り始めました。アジアの中で競合が始まってるんですね。いつだれが、ブロードウェイ以上の作品を創るか、ロンドン以上のヒット作を出すかは、時間の問題なんです。
そういう意味では、残念ながら日本は遅れています。「ミス・サイゴン」の初演のときにベトナム人のキムという主役を決めるために、ロンドンのスタッフは全アジアをまわったんですが、日本には来なかったんです。つまり、日本には実力がないと思ってるという事実があります。しかし、一番先に売った場所は日本だったんですけど…(笑)。
日本はビジネスの場所とはされているけれど、ソフトだとか技術的な実力では、伝統的に歌の力がすばらしいフィリピンとかインドネシアの人たちと比べるとかなわないところはあります。
でも、音楽にしてもロンドンやブロードウェイのようなスタイルだけじゃない、自分たちがもっている音楽世界は山ほどあるので、そういうものを混ぜ合わせながら創る道はいくらでもあると思います。
ミュージカル・イコール・ロンドンやブロードウェイだから、むずかしいというのではなく、もともとそれらの持っているおもしろさを作り出すポイントさえちゃんとつかんでいれば、どこでも創れるんじゃないかいうのが、僕の発想です。
たとえば、外国では韻を踏むということがありますね。ガーシュウィンなどのミュージカルだと、みごとに韻を踏んでいます。シェイクスピアと同じように。音楽は歌えば歌うほど、韻を踏んでいることで、実に粋にリズミカルに展開します。だったら、日本語でも韻は踏めるんです。
いろんなものが細かく味付けされて、ミュージカルという全体像は創られています。ただ、歌って踊ってお芝居して、さぁ、ミュージカルだと言っても、魅力は伝わらないんですよ。細かいところまでスタッフがちゃんと勉強しているかということです。振付ひとつ、音楽の音符ひとつ、詞ひとつ、照明ひとつまで、時間をかけて創るっていうことをやっていけば、日本と言う国も遅れた国ではなくなると思います。
あえて言えば、劇場側がそれだけの体制をちゃんと組んで、時間をかけて、本当にそこから、今までになかったことを創り上げようという意欲と時間と、お金もあるでしょう、それがあればいくらでも可能性はあるでしょう。ロンドンでもブロードウェイでも彼らは何年かけて一作創るんですよ。日本人があまいのは、ぱっと創って観客を喜ばせるようなものをやろうとしていることです。よほどの天才でもそれは世界的に無理です(笑)。
最初の投資も大きいですよね。リスクも大きいですが…。
そう、彼らにとってショービジネスというのは賭け事なんです。投資があって、リスクがあって、いい作品を創ろうという努力があり、ロングランというシステムが成立する。だから、世界に誇れるビジネスになっているんです。それがないで、一発で創ろうというのは無理ですね。リスクをマイナスと思うか、おもしろいと思うかで可能性は変わります。今みたいな物の創り方をしていたら、永遠に可能性は広がらないでしょうね。
今後の活動は?
今日も沖縄から来たんですが、沖縄に家を建てたりしたんで、これからの作品をゆっくり考えたいと思っています。
沖縄はとても楽なところです。そして、同時にいろいろなドラマがいつも交差しているところです。アメリカ兵がいることもそうだし、暗い過去もそうですけれど。ぼくには、日本人が何であるのかということを常につきつけられるところなので、自然を見てほっとするのと同時に、人間のドラマを創るぼくには、刺激的なところなんです。
-ありがとうございました。
宮本 亜門/ 1958年生まれ。東京・銀座に生まれる。ダンサーや歌手、振付師を経てロンドン、ニューヨークに留学。帰国後の1987年自作のミュージカル「I GOT MERMAN」で演出家デビュー。翌88年同作品は1988年度文化庁芸術祭賞を受賞。92年までロングランとなる。1990年の「ラマンドロ」ではミュージカルの総本山ともいうべき日生劇場の観客動員新記録を樹立。ミュージカルほか、オペラ、ストレートプレイ、映画などでも幅広く活躍している。 |
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