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宮本 亜門(演出家) |
聞き手: せんだいタウン情報編集部(T) 吉川 由美(えずこホール・コーディネーター)(E) |
2月25日にえずこホールで行われたえずこサロンで今野東さんと楽しいトークを繰り広げてくださった宮本亜門さん。 たくさんのお客様が仙南圏内外からおいでくださり、この晩はえずこホールも一段と華やかな雰囲気に包まれました。 沖縄から到着後、さっそくインタビュー。8年ぶりの再演となる「I GOT ME RMAN」の話から世界のミュージカルの話までたっぷりうかがいました。
−今回宮本さんのデビュー作品であり、ロングランヒットとなった「I GOT MERMAN」が再演されることになりましたが…。(T)
8年前までやってまして、そのあと、ダンスや映画やお芝居やオペラをやったりしてたんですが、41歳になりまして、初心に戻りたいということもあって再演することにしました。映画を撮ったりして3年ぐらい休んでいたんですが、もう一回ゼロからスタートしようということで、エンターテインメントを創り始めた時のあの作品と関わってみたいと思いました。また、あの作品を見てない方も多くなっているので、宮本という人間がどこからスタートしたかということを見ていただきたいと思ったのもあります。初演の時のオリジナルキャストからももう一回やりたいという声もあったので、東京では同じキャストでの再演となります。
−キャスティングはオーディションですか?
オリジナルキャストに関しては、ぼくが29歳の時でしたが、振付師だった時に知り合った人で、ああステキだなあと思った人たちに、直接電話をかけさせてもらって決めました。それ以降はオーディションで決めています。素質がいい悪いではなくて、それぞれの作品にあった人を、オーディションでは客観的に見ることができます。だから、オーディションに期待もしますし、新しい発見もあるんです。
−キャストが変わると同じ作品であっても内容が変わりますか?(T)
ブロードウェイやロンドンもそうですけど、キャストが変わることによって、オリジナルキャストの時とは違った作品になってくるし、違った姿を現わします。ぼくにとってはそれはおもしろいですね。
「I GOT MERMAN」は、50〜60年代のブロードウェイ・ミュージカルの黄金期にミュージカルの女王として君臨した、エセル・マーマンという女優の生涯を描いています。今回もキャスト3人の強い個性を出し合うことによって、ひとりの女性の生涯を語ってほしいと思っています。それはひとつではなくて、いろいろな語り方があっていいと思っています。
ただ、変わってほしくないのは、ブロードウェイの黄金期の、あのすばらしいコール・ポーターやガーシュインたちの数々の音楽や歌のすばらしさやエンターテインメントのスター達の魅力を伝えることです。これを若い人たちにも、こんなにすばらしいんだとちゃんと伝えてほしいと思っています。
初演の時から8年の歳月が流れています。オリジナルキャストの3人も成長していると思うし、それぞれが人生経験を積んでいます。マーマンが子どもをなくしたり離婚したりするいろんなシーンが出てきますが、それぞれに深さが増すと思うんですね。
前の時もキャストの実人生の中でいろいろなことがあって、キャストのご主人がなくなったあとに歌った一曲とか、母親が亡くなったときの中島啓子の一曲であるとか…、ただのショーであったものが、彼女達の生活とともに深味を増すところを見てますから。
それぞれの人生の深い刻みが、作品を成熟させていくのではないかと期待しています。みんな「I GOT MERMAN」という作品にまた出会って、昔の自分を思い出して、そして、今の自分を確認して、作品を創っていくんじゃないかな。
−舞台をこんなふうに見てほしいというメッセージはありますか?(T)
観客がどういうふうに見ようかということを生真面目な日本人は、気にしすぎると思います。おもしろくなかったら途中で立って帰ってもいいし、楽しかったら拍手をして…笑いたかったら笑って。ほかの人が拍手しないから、我慢して自分もしないというのではなくて、なるべく心をオープンにして、せっかく買った一枚のチケットを楽しめばいいと思います。それこそファッションで遊んでもいいし、その前に飲んで来てもいいし、自分自身を演出して、劇場という場所でエンターテインメントを楽しみに来てくれればいい。そうすれば、自分なりの楽しい時間が過ごせると思います。変にあれこれ考えない。ああ見ようこう見ようなんて手引きは、ぼくはきらいですね。人それぞれの感性があるんですから。
「I GOT MERMAN」では、エセル・マーマンという一人の女性がブロードウェイのショービジネスの厳しい世界で生きた生き様がそのまま描かれています。特に女性の方には、彼女の生き方に勇気づけられるという方が多いと思います。
元気のない今の時代ですから、真剣にショービジネスを生き抜いた女を見て、パワーをもらって帰ってもらえるんじゃないかという気がします。
−ミュージカルはもともと外国のものです。ブロードウェイ・ミュージカルを日本語に置き換えたものと本物とを見比べると。私自身はがっかりすることが多いです。宮本さんの功績は、真似を脱却して日本語で向こうのものに負けないオリジナルのミュージカルを創られたことだと思います。その宮本さんご自身が感じておられるむずかしさとはどんなことでしょう?(E)
正直言うとおっしゃるとおり、ぼくの口からは言いたくないけれど、ロンドンやニューヨークへ行って帰ってくると、日本のミュージカルは100年遅れてると思うんですね。最初ブロードウェイに行ったときもそうでしたしこれだけ仕事をして久々に行くと、またこんなに遅れてる、彼らは立ち止まっていてくれないという感じです。
スタッフにしろキャストにしろ、競争競争の中で、世界中からロンドンやブロードウェイに来てショービジネスの世界で戦っている彼らを見ると、感動するし勇気づけられるし、そして、いつも絶望感に苛まれるのは正直なところです。
じゃあ日本がミュージカルに向かないのかというと、そうではなくて、逆に今彼らと話してみるとそろそろアジアだろうという期待は高まっています。だってロンドン・ミュージカルがブロードウェイ以上の観客を動員するようになるなんて、だれも想像していなかったことなんです。50〜60年代のブロードウェイ・ミュージカルに、ロンドンが勝ったという事実もあるんですから。
エンターテインメントとは無縁だったあのヨーロッパのあちこちでも、ブロードウェイに負けないくらいの、金をかけたミュージカルが上演され始めています。ユーロ統合の影響もあるんじゃないかとは思うんですが。
ミュージカルというのは観客の年齢層も幅広いし、確実にビジネスになるんですね。世界中の人たちが、ロンドンやブ ロードウェイを見て、いろいろ な都市の人たちが自分たちも見 ているだけじゃなくて創りたい と思っているのは当然ですから、 これからもどんどん出てくるは ずです。
今、シンガポールのミュージ カルの力はすごいですし、ホン コンもどんどんミュージカルを 創り始めました。アジアの中で 競合が始まってるんですね。い つだれが、ブロードウェイ以上 の作品を創るか、ロンドン以上のヒット作を出すかは、時間の問題なんです。
そういう意味では、残念ながら日本は遅れています。「ミス・サイゴン」の初演のときにベトナム人のキムという主役を決めるために、ロンドンのスタッフは全アジアをまわったんですが、日本には来なかったんです。つまり、日本には実力がないと思ってるという現実があります。しかし、一番先に売った場所は日本だったんですけど…。(笑)
日本はビジネスの場所とはされているけれど、ソフトだとか技術的な実力では、伝統的に歌の力ががすばらしいフィリピンとかインドネシアの人たちと比べるとかなわないところはあります。
でも、音楽にしてもロンドンやブロードウェイのようなスタイルだけじゃない、自分たちの持ってる音楽世界は山ほどあるんで、そういうものを混ぜ合わせながら創れる道はいくらでもあると思います。
ミュージカル・イコール・ロンドンやブロードウェイだから、むずかしいというのではなく、もともとそれらの持っているおもしろさを作り出すポイントさえちゃんとつかんでれば、どこでも創れるんじゃないかというのがぼくの発想です。
たとえば外国では韻を踏むということがありますね。ガーシュインなどのミュージカルだと、見事に韻を踏んでいます。シェイクスピアと同じように。音楽は歌えば歌うほど、韻を踏んでいることで、実に粋にリズミカルに展開します。だったら、日本語でも韻は踏めるんです。
あえて言えば、劇場側がそれだけの体制をちゃんと組んで、時間をかけて、本当にそこから、今までになかったことを創り上げようという意欲と時間と、お金もあるでしょう、それがあればいくらでも可能性はあるでしょう。ロンドンでもブロードウェイでも彼らは何年もかけて一作創るんですよ。日本人があまいのは、ぱっと創って観客を喜ばせるようなものをやろうとしていることです。よほどの天才でもそれは世界的に無理です。(笑) | ■photo ▲99.2.25 えずこサロン |
−最初の投資も大きいですよね。リスクも大きいですが…。(E)
そう、彼らにとってショービジネスというのは賭け事なんです。投資があって、リスクがあって、いい作品を創ろうという努力があり、ロングランというシステムが成立する。だから世界に誇れるビジネスになっているんです。それがないで、一発で創ろうというのは無理ですね。リスクをマイナスと思うか、おもしろいと思えるかで可能性は変わります。今みたいな物の創り方をしていたら永遠に可能性は広がらないでしょうね。
−今後の活動は?(T)
今日も沖縄から来たんですが、沖縄に家を建てたりしてたんで、これから次の作品をゆっくり考えたいと思っています。 沖縄はとても楽なところです。そして同時にいろいろなドラマがいつも交錯しているところです。アメリカ兵がいることもそうだし暗い過去もそうですけれど。ぼくには、日本人が何であるのかということを常につきつけられるところなので、自然を見てほっとするのと同時に、人間のドラマを創るぼくには、刺激的なところなんです。
−ありがとうございました。
宮本亜門(みやもと・あもん)/ |
■photo ▼“えずこサロン” 和気あいあい、あっという間の1時間半でした。 |