UZU・UZUインタビュー20-06
   
   


ロビー・ラカトシュ

ロビー・ラカトシュ







ジャズ、クラシック、ジプシー、あらゆるジャンルの曲を最高のテクニックで弾きこなし、その圧倒的な表現力で聴衆を魅了するヴァイオリンの怪人ラカトシュ。えずこ公演のリハーサルの合間を縫ってお話しを伺いました。



Q: えずこホール 、 L: ロビー・ラカトシュさん)



Q.まず、日本の印象についてお伺いしたいのですが…。

L. いつも日本に来るたびに素晴らしい国だと思っています。前回は、兄とジャズの演奏で来日したんですが、ジャズのお客さんもクラシックのお客さんもとても素晴らしく満足しています。



Q.文化や食べ物についてはどうですか?

L. 今、ヨーロッパではそこかしこで日本料理店がオープンしていて、ベルギーでもまさにオンタイムで流行しています。日本料理は、西洋の料理に比べとても軽く美しく、最近、私はダイエットを始めていて(笑)、とてもファンになっています。



Q.他の日本文化についてはどうですか。

L. 日本にいるときはスケジュールがタイトでなかなか触れることができないんですが、津軽三味線の木乃下真市さんとは一緒に録音もしましたし、日本の音楽を堪能させていただきました。それから、ヨーロッパでは日本の文化は大きく取り上げられていて、鬼太鼓座や鼓童などをとても印象深かく聴きました。



Q.ご自身の音楽についてですが、ジャズ、クラシック、ジプシー、自分のオリジナルも作曲されていてとても幅広い音楽性をお持ちですが、それはご自身のバックグラウンドから来るものなのでしょうか。

L. 私の音学歴はとても長く、16歳くらいから作曲を始め、そのころから常に新しい自分のスタイルを出していくことを始めていて、幸運なことにそのたびにみんなが期待してくれています。

私はツィガーヌの新しいスタイルを追求している立場にいるわけですが、その分野でのイノベーター的な位置にいるのだと思います。今回も新しいCDを出しますが、ディベルティメント、ジャンゴなどで、また新しい一面を出そうと思っています。



Q.ツィガーヌについてですが、大きくはジプシーという括りで捉えていたんですが、どう違うんでしょうか。また、ロマ、マヌューシュはどういう意味でしょうか。

L.同じです。ツィガーヌはフランス語で、ジプシーは英語。ロマはジプシーの間で喋られているジプシーということ。マヌューシュはフランス系のジプシーのことです。民族は同じですが移住した場所によってそこの土地の音楽の影響を受けてそれぞれに違うスタイルと呼び名となっていったということです。

私たちはハンガリーでその土地の影響を受けたのでツィガーヌ。ジャンゴはベルギーに行ってフランスの影響を受けマヌューシュと呼ばれています。西ヨーロッパに移住したのがマヌューシュですね。



Q.85年19歳でブリュッセルに本拠地を移されてされていますが、何かきっかけがあったんでしょうか。

L. 当時はまだ音楽院の生徒だったんですが、リエージというところで、3カ月の演奏契約をして初めてアンサンブルを持ちました。そこで大成功してそのまま契約を延長し、後にアトリエグランドビルというところを作って、そこを本拠地に定めたということですね。

 
ラカトシュ&ボーニ
えずこホールでのステージの様子



Q.現在のアンサンブルのメンバーは、特異な楽器編成だと思うのですが、このメンバーに至った経緯は…。

アッティラというギタリストが新しく加入しましたが、他の5人とは小さいころからずっと長い付き合いです。ジプシーのアンサンブルで15年以上も続けているというのは稀なことです。もうお互いを心底知っているので、完璧な音楽が演奏できる強みがあります。

何が出来るか、どこまで出来るか、舞台でどんな展開ができるか読める状況にあり、お互いの信頼も厚く、誰一人やめたいとも思っていないし、ひじょうにラッキーでユニークな存在だと思います。



Q.ステファン・グラッペリに心酔していると伺いましたが、どんなところが魅力でしょうか。

とにかくグラッペリは子どものころから私にとって神様みたいな人でした。たまたま父がよく旅行をして、グラッペリの最新レコードをお土産に買ってきてくれました。そして、いつもそれを聴きながら、こんな風に弾けたらなあと憧れていました。

学校や仕事の関係でパリに行くようになってから、会いたいと思っていたんですが伝も無く、ところがほんとにラッキーなことにグラッペリのほうからコンタクトをしてきて、89年に初めて会い、意気投合して友達づきあいをさせてもらうようになりました。それから常にコンタクトとってよく演奏も一緒にしました。

アフターコンサート交流会の様子

また、グラッペリはユーディ・メニューインとも友人で、紹介してもらい、いい意味での三角関係がずっと続き、私のキャリアにとってとても大きな力となりました。私はグラッペリとメニューインには本当に感謝しています。





(2004年10月30日えずこホールにて)





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