UZU・UZUインタビュー17-01
   
 

























国内における女性ジャズボーカリストとして人気、実力ともにNo.1のケイコ・リーによるライブが2001年12月15日、えずこホールで開催されました。

最高の持ち味であるディープボイスを聴こうと、会場は超満員。その熱いライブを前に音楽と向き合うスタイルについてバンドリーダーでもあるギタリスト吉田次郎氏を交えてお話を伺いました。




Q: えずこホール 、 L: ケイコ・リーさん、 Y: 吉田次郎さん


Q:21歳からピアノを始められたということで、ミュージシャンとしてのスタートはずっと遅いとように感じますが。

ケイコ・リー: 始めはなんとなくでした。ピアノの鍵盤を触ったりしていて、うまく説明はできないですが、とにかく好きだったんですね。当時は、子ども向けに音楽教室などはやってましたが、プロとしての活動はしてませんでした。


えずこホールライヴの様子1

Q:その後、シンガーへ転向したわけですが。

L: ええ、プロとして音楽活動を始めたころは、ピアニストとしてジャズやシャンソンの伴奏をしていました。

たまたま歌を歌っているときに、友人がそれを聞いていて進められたわけなんです。

ヴォーカルをやってみたらって。それがきっかけでした。

でもわりと意識がなくて、ピアニストだとかシンガーだとかっていうこだわりがなく転向したんです。

その意識は実は今でも変わっていないですけどね。 ですから、私のスタンスっていっても一言でいえばアーティストであり、ミュージシャンっていう大きなところでの位置付けであっても、ただ音楽が好きで今もやってるっていうことだけなんです。それはごく自然にあるべき自分の姿だと思っています。



Q:95年にケニー・バロンのサポートで「イマジン」でデビューされましたが、どんな経緯だったのでしょう。

L: プロデューサーとの出会いがあって、そのとき、CD出すのを僕に手伝わせてくれないかって言ってくださったんです。それで、すぐお願いしました。

でも、メジャーデビューが目的で音楽活動をしていたわけではないですから、大きなチャンスだっていう考えもありませんでした。そのときのめぐり合わせと私がしたいと思う音楽活動の結果、メジャーデビューという周りでの評価に結びついたとんだと思っています。


えずこホールライヴの様子2


Q:最初のころのアルバムでは、ジャズ色の強い作品が多かったと思いますが、最近はポップス寄りのアプローチをされているように感じているんですが。

L: 歩んできた流れというのは、やっぱり意識されたものではなく、ごくごく自然な流れなんです。

いっしょにやっているメンバーも音楽性が広いですから、意識して音楽するっていうのは、それぞれが違うと感じているはずです。

だから、私たちがこのメンバーでジャズのスタンダードをやろうとR&Bをやろうとそれは、そのとき私たちがやろうと思う音楽が一番であって、音楽に対するスタンスというのは、今も昔も変わっていないと思います。




Q:現在のバンドのメンバーはどんな経緯で集まったんでしょうか。

吉田:僕は、実は1枚目のアルバムを出す前から、彼女を知っていました。その後2枚目のアルバムの 「キッキン・イット」のときにお手伝いをすることになって、3枚目の 「ビューティフル・ラヴ」から本格的に参加したんです。

そのころでしょうか、2人でデュオでの活動もしてました。このメンバー全員がそうですけど、日本でも幅の広い音楽性をもったミュージシャンなんです。

その後、坂井さんや野力さんが加わって、ドラムの渡嘉敷さんが入ってからは2年半になるかな。だから、これを機に集まったわけではないですね。

Q:吉田さんはニューヨークでずっと活動されていたということですが、テロ事件後は音楽活動にも大きな影響があったと思いますが。


えずこホールライヴの様子3
右がギタリスト吉田さん

Y: テロ後は、ケイコさんとの仕事がほとんどで、日本に帰ってきて活動をしています。ニューヨークで活動するミュージシャンもほんと大変ですよ。

あのテロさえなければ、そんなことはなかったんでしょうけどね。 あのビルの崩壊で楽器を預けていた倉庫もつぶれてしまったしね。

実は、僕だけじゃなくて、ニューヨークで活動するミュージシャンというかギタリストのほとんどがその倉庫に預けてたんですよ。

僕のは仕事用のギターだったんだけど、大変な損害でしたね。



Q:ケイコさんは今のバンドのメンバーに大きな信頼をおいていると伺いましたが、そのすばらしさはどこにあると感じていますか。

L: 一言で言えば人間性。あったかさというのかな。でも、言葉にすると安っぽいんくなってしまうので、説明は難しいですね。ん〜。でも一言でいったら、やっぱりあったかい人間性というのが一番いい表現かな。



Q:これからの音楽活動の展開で考えているところはありますか。


L: 思いつきって言ってしまえば、聞こえが悪いでしょうけど、ある瞬間にこれはやってみたいと思う音楽があったら、みんなと一緒にやるでしょうね。だから、意識して新しい世界を切り開くとかは考えてはいないし、お話したとおり自然な流れなんです。

リハーサルとかでも音を出しながら、どこか遊びの中で生まれるものがたくさんあって、明日また何が生まれるか分からないし、このステージでも同じことが言えると思うんです。そういう可能性をもったミュージシャンたちが集まっていると思っています。



Q:音楽以外で、何か趣味など好きなことはありますか。

L: 料理とかは好きですね。料理といっても、何とか料理が得意っていうんじゃなくて、例えば冷蔵庫にあまっているものを使っていろいろ作ったりするのが好きなんです。

でもあまり時間もないですから、ほかにあれこれしたいと思ってもできないという感じかな。ほんと、普通に生活しているのが好きで、友達と食事いったりとか家のことしたりとかごく普通のことが好きなんです。





ケイコ・リー(Jazz Vocalist)プロフィール

21歳から独学でピアノを弾くようになりジャズやシャンソンのジャンルでプロピアノニストとして活躍。

その後、シンガーへ転向。存在感のあるヴォーカル・スタイルとディープなヴォイスで注目を集め、「楽器と対等に渡り合える歌手」と共演のミュージシャンからも評判を呼ぶ。

95年、ケニー・バロン(P)がサポートした『イマジン』(ソニーミュージック)でCDデビュー。96年にはリー・コニッツ(SAX)も参加した『キッキン・イット』を発売。同年、ヨーロッパでのライブをロンドンとパリで開催。

翌97年には、スイングジャーナル誌人気投票の日本ジャズメン女性ジャズ・ボーカル部門で第1位に輝く。98年には、香港で5日間ライブ(香港Jazz Club)を実施。さらに北京ジャズ・フェスティバルに出演し、国際的にも高い評価を得る。

同年には、スイングジャーナル誌主催第31回ジャズ・ディスク大賞ニュー・スターを受賞。また、リーの歌う『WhatA WonderfulWorld』がCFイメージソングに起用され、全国的な反響を呼ぶ。

99年、ニューヨークでのレコーディングのウィズ・ストリングス・アルバム『デイ・ドリーミング』をリリース。ケニー・バロン(P)、ロン・カーター(b)、グラディ・テイト(ds)、ジミー・ヒース(ts)ら一流のミュージシャンがサポートした。同年の第33回ジャズ・ディスク大賞では国内部門のボーカル賞を2年連続で受賞。

一方、香港・台湾・韓国など広くアジアで人気を博し、99年5月には初のべストアルバム『This is Keiko Lee』を発売(日本を除く)。2000年9月、イタリア・ローマでレコーディングした初のピアノ弾き語りアルバム『ローマからの手紙』をリリース。

深みを増したディープ・ヴォイスと重厚なタッチのピアノで20世紀の名曲の数々を歌い、高い評価を得る。同作品で第34回ジャズ・ディスク大賞の日本ジャズ賞を受賞。2001年5月には、スイングジャーナル誌の日本ジャズメン読者人気投票女性ボーカル部門で5年連続第1位を獲得。

同年7月にはポップでソウルな感覚の中 にジャジーな魅力を含むNEWアルバム「Keiko Lee Wonder of Love」をリリース。

現在、ジャズ・シーンにおける国内の人気・実力ともにNo.1のヴォーカリストとして、海外でも高い評価を得る一方、精力的な音楽活動を展開している。



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