UZU・UZUインタビュー19-02
   
   



















ご存知、かっぺいさんこと「伊奈かっぺい」が語ったこれまでの足跡。

その多才さは、遊び心というかっぺい流スタイルの真髄でした。ゆるやかさと激しさを合わせ持つ青森の風土が育む精神。その心が息づくかっぺいさんのならではの楽しいお話しを伺い知ることできました。



Q: えずこホール 、 I: いなかっぺいさん)


Q:昭和49年「消しゴムで書いた落書き」を出版された当時、青森放送に勤めながらの活動をされていたということでしたが、本格的な活動のきっかけをお伺いしたいのですが。

いなかっぺい: 当時放送局では、美術の仕事をしてました。

テロップやフリップを作ったり、スタジオや公開放送のときのセットのデザインや大道具の仕事をしてたりしてました。 暇な夜の時間などに日記を書いてまして、それをたまたま本にまとめて出版したのが「消しゴムで書いた落書き」でした。

あるとき、青森放送から全国に向けて発信する企画があって、さて何をしようかという話になったんです。そして、そのラジオ制作のディレクターからたまたま津軽弁でその本を読んでみないかという話が出まして、番組になったわけです。

そのとき、レコード会社の方が出勤途中の車の中で偶然にもその番組を聞いてたんです。 そしたら、翌日青森までその会社のディレクターの方も一緒に来られましてレコードを出してみないかと話をされました。そしてレコードまで出すことになったわけです。

そのレコードを出した年が確か昭和52年だったと思います。とにかく偶然が重なったんですね。ですから、芸能活動をしたくて、ということではなく、たまたまが本を出版してからの偶然だったんです。本を出したり、レコードを出したりというのが話題になったのでしょうね。

徹子の部屋などTV番組に出演したりもしました。そしてまた、番組を見た山田洋次監督が、映画で使えないだろうかというということで、映画のナレーションだったり、美術の仕事をしていたので、映画のタイトルを書いたり、ポスターを作ったりという仕事もするようになったんです。すべては向こうからやってきた話でした。



かっぺいさんのとびっきり楽しいお話に
会場も大いに盛り上がりました。

Q:青森は、東北の都市の中でも独特の力強さを持っているような気がします。津軽三味線の響きの中に聞こえる粘り強さ力強さがそれを象徴しているように思えるのですが。

I: ユニークな人が多いようには思いますね。例えば、津軽三味線の高橋竹山さんや劇作家でもある寺山修二さん、歌手の淡谷のり子さん、俳句歌人の三上寛さんとかね。

私個人的には、本を出したのもはじめは方言詩としてでしたから、汚いと言われていた方言を文学の域にまで高めた高木恭三さんという方言詩の先人がいたんです。

子どもの頃、近所に住んでいたこともあって、方言詩としてなら書けるかなと本を出す時は思いましたね。

標準語で書くといろいろ赤を入れられたりするんだけど、方言で書くと誰からも直される心配はない。間違いだとは言わせない(笑)。




Q:多忙になられてもテレビ局の仕事を続けられたのは、何かかっぺいさんのこだわりのようなものがあったのでしょうか。

I: いま会社を辞めたら、体を休めるところがなくなるからですよ(笑)。私はヒット曲がなくても大丈夫で、毎月25日、青森に帰れば給料日だからね(笑)。一所懸命になるのが嫌いなんだよね。だから、私がステージに立ったりするのは、楽しみながら、半分遊びながらやっていることなんです。

東京に呼ばれれば行きますよ。行ったこともあるし。ただ呼ばれないから行かないだけでね。これから歌手になりたいとかはないから積極的な売り込みなどはしないだけです。向こうからくる話を待ってるだけなんです。蟻地獄のようにね(笑)。

サラリーマンという後ろ盾があるからいろんなことができるのであって、サラリーマンを辞めてしまったら、あるいは、これで食っていかなきゃいけないなんて思うようになったら、今のような楽しいお話は逆に作れないんじゃないかなって気がします。

だから、ボクサーとはまったく逆です。ハングリー精神がなければ闘えないというのであれば、安住する場所があるから舞台などで遊べるわけです。早い話が趣味でお金をもらえるようなもので、自分でも非常に良い生き方をしてると思いますよ。だから、本を書くのも趣味なら、TVに出たり舞台に立ったりするのも趣味といっていいんじゃないかな。




   同じステージ立つかっぺいさんと むね さん。
   楽しい会話に超満員 の会場も大う け、
   笑いも絶えませんでした。


Q:注目していたり尊敬しているアーティストなどはいらっしゃいますか?

I: 例えば、青森にはこのジャンルだけですばらしいという人がないように思います。

いろんなジャンルで活躍しながらもあるジャンルで飛び抜けた人とでもいうのかな。

寺山修二さんなんかは、歌人かと思うと劇作家であり演出家でありますよね。

あの人は、職業で「何をしているんですか?」を聞かれて「寺山修二をやってます。」と答えた人なんですね。寺山さんのあとには、同じような人は出てませんし、淡谷さんや竹山さんのあともそうだと思います。

突然変異のうような存在というのでしょうか。そういう意味では、私も師匠や弟子もいませんし、粒は小さくてもそういう中の一つかなって思います。落語やってるわけではなく、漫才やっているわけでもない。そしてまた歌手をやってるわけでもない。だから肩書き聞かれるのはとても困るんですよ。

自分にできそうな、自信のあるものからやっていくということなんです。流れの中で、ですね(笑)。




(2002年11月5日、えずこホール楽屋にて)





伊奈かっぺいプロフィール

大学卒業後、RAB青森放送に入社。ラジオやテレビのCMディレクター、ラジオ制作ディレクターなど多彩なビジネスシーンをこなす一方、ユニークな活動のきっかけとなる方言詩集「消ゴムでかいた落書き」を自主出版。

日常生活を題材しながら、ペーソスにあふれる独特な笑いの世界は、自作の詩の朗読とその歌により全国的にファンを獲得していった。91年の人気TV番組「なぜ?魅知国」に続き、99年からオンエアの「いろはのい かっぺいのか」では、その感性と知的なレポートで多くの人々を魅了し、その存在感を不動のものにした。また、民放祭CM部門での最優秀賞をはじめ、ACCラジオCM部門でグランプリを3度受賞。

94年には、タレント賞受賞。98年、ギャラクシーDJパーソナリティー賞受賞。さらに、音楽活動でもゴールデンディスク賞を幾度も受賞するなど数々の受賞暦をもち、その多彩な才能を輝かせている。作家、詩人、イラストレーター、エッセイスト、作曲家、歌手、映画・舞台の役者、CMディレクター兼キャラクター、ナレーター・・・。

そして、本業は前述の制作局付副参事でもあるサラリーマン。その多彩な活動に多方面から大きな注目を集め続けている。



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